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モーリス・ラヴェル。悲劇への漸進的接近としか言いようのない晩年の十年が、あらかじめ悲劇を禁じて、描かれてゆく、(軽やかなワルツのように)。ジャン・エシュノーズ『ラヴェル』(関口涼子訳、みずず書房、2007年刊)

ラヴェルの評伝小説を描くにあたって、晩年の十年だけを描くなんて、ひどいじゃないか。まるでビートルズの評伝をブライアン・エプスタインの死から書き起こすようなもの。マイルス・デイヴィスの伝記を1980年のフュージョン時代から始めるようなもの。しかもこの著者は、あろうことか入浴中のラヴェルのシーンから物語をはじめるのである。



冒頭一段落を引用しましょう。「湯船からあがりたくないときが誰だってある。大体、身体をこすった後の細かい垢と石鹸に抜け毛がからまって浮いている、ほどよい暖かさの、泡に包まれたお湯に別れをつげ、暖房の効いていない家の冷気に身を晒すのは残念きわまりないことだ。その上、背があまり高くなかったり、猫足つきバスタブの淵が高かったりしようものなら、湯船をまたいで浴室の滑りやすいタイルにそろそろ足の指を着地させようとするだけでも一仕事になる。股をぶつけたり、滑って転ぶなんてことにならないように、慎重にことを行うのが賢明だ。勿論、そんな面倒をさけるためには、自分の背丈に合わせて湯船をオーダーメイドするのが一番だが、それには費用もかかり、新型にもかかわらず十分に暖まらないセントラルヒーティングを設置したときよりも高い見積もりになるかもしれない。それならば、何時間、いや永遠に湯船に首までつかり、右足で時折蛇口をひねってお湯を少しづつ足しては温度を調節し、羊水に包まれているような気分を保っている方がずっといいというものだ。」(引用終り)。




ラヴェルはこの時期、名声の頂点。アメリカ~カナダの演奏旅行は大成功。もともとかれのピアノはそれほど巧くはないけれど、それでも誰もが拍手喝采。なんてったって、あのラヴェルのピアノ演奏だもの。ラヴェルは自分が人気絶頂であることに気をよくして自作自演の仕事を増やそうとおもいいたつ。ラヴェルはピアノの練習をはじめる、ところが練習しても練習しても、もはやかれの演奏技術は、かれの書いたピアノ曲に、追いつけない。このときラヴェルはひそかに自分の内部ではじまっている危機に気づく。




われわれ読者はすでにラヴェルの晩年の人生の危機のアウトラインを知っています。いつしかラヴェルに書字障害が現れ、感情のコントロールができかねる症状が現れ、やがて身体のコントロールが巧くできない、という危機的な状態に至ることを。どうやら『ボレロ』『左手のためのコンチェルト』の時期に、すでにこうした障害の兆候が現れているようだ。著者は、そのラヴェルの人生に走りはじめたひびを、ていねいに追いかけてゆく。ひびの進行。ひとつの象徴になっているのが、かれの書くサインの字体が崩れはじめてゆくこと。そう、サインが体を成さなくなってゆく。生身のラヴェルと、社会的なラヴェルのつながりが失われてゆく象徴のように。このときからラヴェルは、かれ自身の内部で進行してゆく崩壊過程の、冷静な観察者になってゆく。そこまで深刻な事態まで物語は描いてゆく、あくまでも軽く、俊敏な、よく動く仔犬のしっぽのような文体で。



物語のクライマックス、いや、アンチクライマックスは、海で溺れかけるシーンである。もはや物語は後半部分にさしかかっている。ラヴェルはリハビリのため郷里の海へ。泳ぎの巧かったラヴェルは、つい沖まで泳いでしまう。けれどもいつまでたってもラヴェルは戻って来ない。いつまでたっても戻ってこない。もしもここでラヴェルが死んでたら、物語は悲劇になっただろう。ところが同伴者が心配して沖まで探しに行ったところ、なんとラヴェルは(どこで手にしたのか)浮き袋にすがり、助けが来てくれるのをただただ待っていたのだった、ラヴェルはつぶやく、泳ぎ方を忘れてしまってね。




かわいそうなラヴェル! あんなにもチャーミングな音楽をたくさん書き、世界の大スターに駆け上ったラヴェルが、浮き袋につかまって、助けの訪れを無力に待ちながら、呆然と、空と海のあわいに漂っていたなんて。物語はすでに、悲劇のかっこよさから、見捨てられてもいる。しかも、もしも深読みするならば、この場面はなんとオンディーヌのパロディなのである。そう、ラヴェルが『夜のガスパール』で描いた、水の精オンディーヌの…。


ただし、悲劇になろうがなるまいが、ラヴェルに進行してゆく痴呆はもはや悲惨な状態に達している。泳ぎを忘れるなんて、ふつうはありえないこと。そのありえないことがラヴェルに起こってる。ラヴェルはいったいどうなっちゃうんだろう? なにか打つ手はないものか。このまま崩壊の過程を見守っているだけだなんて! 友達たちが見るに見かね、藁をもすがるように(嫌がるラヴェルにむりやりに)脳外科手術をさせる。




医師は、「頭蓋をのこぎりでひき、右前面を分けて取り除き、硬膜を水平に開け、内部の様子を診断する。腫瘍がどこにも見つからなかったので、脳室角を穿刺し、水分を少し出そうとする、しかし水分は局部を押さないとでてこない。脳を多少膨張させようと何度も少量の水を注射する。脳は膨張するがすぐ縮む、脳萎縮は取り返しのつかないものに思われる、医者たちは匙を投げ、注射した穴をふさぎ、それから、硬膜を開けたままで、前面をもとの場所に戻し茶色い糸で縫合する。」



ぼくの知り合いの脳外科医は、この手術の場面の記述に驚きを隠さなかった、「硬膜を開けたままにするというのは、現在の脳外科の手術では絶対に考えられないこと。これだけで死亡の原因になってもおかしくはありません。ただし当時の脳外科の手術のレベルについてはまったく知識がないので、私には分かりかねますが・・・」おそらく著者のエシュノーズさんは、この手術に医療事故か、あるいは1930年の医学の限界を明示しているでしょう、その死の偶然性を強調せんがために。そう、悲劇から見放された、われわれの同時代人ラヴェルの死の、偶然性を。



そしてエシュノーズさんは続けてさっと軽くエピローグを描きあげる、(さまざまなセレブたちと交友していたにもかかわらず)ラヴェルは人生の最後に、長年炊事洗濯を頼んでいたレヴロ夫人をこそ呼ぶ場面を。そして小説はラストへ向かう、「ラヴェルは再び眠りにつき、十日後に亡くなった。遺体は黒い礼服、白いベスト、ウイングカラーのシャツに白い蝶ネクタイ、明色の手袋を嵌め、遺書は残さず、映像も、録音された声も残さなかった。」


簡潔な書き方が、いっそう哀しみを胸に染み入らせる。かわいそうな、ラヴェル! さて、こうして最後まで読み進んだ読者は、はたと気づくだろう。いまおもえば、この小説が〈水〉のテーマの変奏に拠って、描かれていることに。



そう、冒頭一段落、「細かい垢と石鹸に抜け毛がからまって浮いている、ほどよい暖かさの、泡に包まれたお湯」、なんとそれは二十六歳のラヴェルが描いた『水の戯れ』のきらめく水、三十歳のラヴェルが描いた組曲『鏡』のなかの『海原の小舟』の、光に照り返し、空模様を写し出す水、そして三十三歳のラヴェルが描いた『夜のガスパール』の、愛と哀しみの、水のオンディーヌの、水の、その、めぐりめぐったなれの果ての、〈水〉ではなかったか。もっとも、エシュノーズさんの〈水〉は、まことにもって散文的な、そして詩情と無縁な〈水〉である。そしてこのまったくもって詩情と無縁な、きわめて散文的な〈水〉が、例の、ラヴェルが危うく溺れかける海に、そして最後の脳手術で、ラヴェルの大脳に注射される〈少量の水〉に、繋がるのである。



と同時に、アイデンティの危機という主題の系列も潜んでいます。まず、冒頭に現れる「自分の背丈と湯船の大きさが合っていない」というイメージが、そのアイデンティティの不安定の隠喩でしょう。そしてこの隠喩が、やがて「自分の書いたピアノ曲を自分自身で演奏できないラヴェル」に、そして「字が巧く書けず、書体が崩れ、自分のサインさえきちんと書けなくなってしまうラヴェル」のイメージへと変奏されてゆく。そう、意識としての自己が、自分自身をコントロールできなくなってゆく、昏い主題のメインテーマとして変奏されてゆくのである。〈悲劇を禁じられたわれわれの生〉という主題をめぐって。



■ジャン・エシュノーズ(Jean Echenoz,1947年12月26日-)は、フランス出身の小説家。

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