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いかにして小池百合子さんは(その実態はともあれ)テレビのなかで素敵な政治家を演じることができるようになったか。

密告者は密告する。
泥棒は泥棒する。
殺人者は殺人する。
恋人たちは愛し合う。
そして嘘つき小池百合子は、
(どんなときも柔和に微笑み、平然と)嘘をつく。


〈メディア論から見た小池百合子さん〉
というお話です。
小池百合子は耳障りのいいことを言い、
媚びを売って権力者にすり寄って、
油断させ、側近になりすまし、
しかし時世が変化し、
権力が推移するのを知れば、
あっさり捨てて、身を翻し、
新しい権力者にすり寄ってゆく。
こうして彼女自身が東京都の最高権力者になりあがった。



彼女の人生を振り返ってみましょう。気の毒きわまりない少女時代を送った勝気な少女が、アラビアに渡り、カイロ大学に入学したものの、授業についてゆけないままに帰国。彼女は事実上、高卒です。それでも、彼女は「カイロだいがくしゅせきそつぎょう♡」と誰かれかまわず言い張って、マイナーながら知る人ぞ知るアラブ通の才媛になりすましてゆきます。芦屋の甲南女子中高等学校仕込みの物腰柔らかでいつも微笑みを絶やさず、上品な口調のものいいも彼女の立身出世に貢献したことでしょう。なお、一般に人が微笑むときは好意や愛情の表現ですが、しかし小池百合子さんの場合はたとえ腹のなかで憎悪と殺意が燃えたぎっているときでさえも、優し気に柔らかく微笑むことができる。こういう人はなかなかいるものではありません。



社会人人生の初期からのプロモーションの甲斐あって、1979年27歳で小池百合子さんはめでたく日本テレビの『ルックルックこんにちは』内で竹村健一さんの『世相講談』(‐1985年)のアシスタントの座をゲットした。そしてこの機に乗じて1982年はじめての著作『振袖、ピラミッドを登る』なるエッセイを書き、ここでもまた自分の学歴を偽って「カイロだいがくしゅせきそつぎょう♡」とご自身を売り込んだ。



竹村健一さんは1930年生れ、戦後は京都大学を経て、フルブライト奨学金の第一期生として、シラキュース、イエール、ソルボンヌで学び、帰国なさった人。帰国後は英文毎日の記者そのほかを経て、私立大学の英文学の先生を経て、マーシャル・マクルーハンの紹介者というテイで注目を集め、(パイプをくゆらせ、ざっくばらんな大阪弁で内外の政治を論評する)テレビの人気評論家におさまった。なお、当時広告屋やテレビマンはマクルーハンを読み漁ったもので、銀座の本屋では飛ぶように売れた。



マクルーハンはカナダ人で、英文学出身のメディア論者として(アンディ・ウォーホルとビートルズがスターだった1960年代後半から1970年代にかけて)一世を風靡した。かれは言った、メディアはコンテンツの内容に先だって、そのメディアそのものがメッセージを持っているのだ、と主張した。「たとえばヒトラーがドイツ人の心を掌握できたのは、かれがラジオという没入感をもたらすメディアを使って演説を繰り返したからである。」他方、ラジオに比較して、テレビはさほどオーディエンスに没入感をもたらさないメディアであって、ク-ルなもの。テレビにはテレビにふさわしいパフォーマンススタイルがあるのだ、ということである。この主張は、〈人は見た目が9割〉という見方に通じています。



ご存じのとおり、テレビとは視聴率のためならばなんだってするもの。どうすれば好感度が上がるか、そのノウハウを数々持っています。おのずと政治家もまたテレビのなかの国会中継での自分の見栄えを気にするようになる。小池百合子さんも蓮舫さんも山本太郎さんも誰であろうが同じです。



しかしながら、テレビもまたいまや激しい没落傾向にあって。いまやテレビを情報源にする人はほぼ高齢者だけ。つまりたとえば小池百合子像には天使の百合子と悪魔の百合子、2種のイメージが別個に存在しています。したがって、小池百合子さんの選挙演説にはアンチのプラカードが掲げられ、罵声が飛び交い、騒然としています。



なるほど、ネットには勢いがあり、小池百合子さんについては批判の嵐が吹き荒れ、反小池の意見が渦巻いているものの、ただし、その反小池の主張を持つ人びとがひとつにまとまるわけでもない。未曾有の混乱期と言えましょう。




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