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ロックにとって作曲とは、どういう行為か? Radiohead "Creep"を題材に。ついでに盗作論争についても考える。

"Creep"(1992)、憂鬱で昏くダルく放心した感じが気持ちいい。「あなたは美しく天使みたいで美しい世界に属している。他方、ぼくは気色悪く不気味な奴さ。そもそもぼくは、いま・ここに属していない」。トム・ヨークは生まれつき左目が麻痺していて、しかもコドモ時代は父親の仕事の関係で、転校ばかりしていた孤独な少年だった。



サウンドはぼくにはVelvet Underground を継承しているように聴こえるけれど、実はUK Wikipediaによると、この曲はアルバート・ハモンドに訴訟をおこされていてハモンドの言い分は、おれのThe Air I Breath (1972)をパクッただろ、というもの。とうぜん日本のRadioheadファンは叫んだ、「アルバート・ハモンド、おまえは小林亜星か!??」



作曲は最初になにかのアイディアを必要とする。自分で見つける場合もあれば、先行するなにかの曲に見つける場合もある。ただし、トム・ヨークのこの曲の場合、Aメロのコード進行を使っただけのこと。しかも両曲のサウンドの仕上がりはまったく違う。たしかに両曲のテンポとコード進行と盛り上げ方には共通するものがあるけれど。ただし、世界観はアルバート・ハモンドの雨の降らないカリフォルニアの能天気な楽天性 対 トム・ヨークの絶望性と見事に正反対。まるでアンサーソングみたいです。


そもそも〈作曲→演奏〉っていう考え方はクラシックの考え方で、しかもクラシックにおいて作曲は編曲まで含む。他方、ロックの場合はリフを考えたり、コード進行を見つけたりするなかで、おのずとメロディが生れてくる。作曲の占める位置(重要性)はクラシックほどには高くない場合が多い。また、ロックにおいて編曲はバンド内で自発的におこなわれることが多い。ビートルズにおけるジョージ・マーティンのように編曲家に仕上げを依頼するケースはそれほど多くない。そこにポップ・ミュージックとロックのひとつの峻別線があるとさえ言えるでしょう。



ぼくの個人的な(いくらか奇矯な?)意見としては、作曲って遊びであって。鬼ごっこや隠れんぼ、ハンカチ落としやザリガニ釣りに著作権なんてありませんからね。



しかし、結局、Radiohead はハモンドの主張を受け入れ、Creepに、アルバート・ハモンドとヘイズルウッドを共同ライターとしてクレジットするに至る。もっとも、アルバート・ハモンドの訴訟は、もしも裁判官が違えば敗訴している可能性もあるとぼくはおもうけれど。




とはいえ、日本のポップスの世界では、長いこと丸パクリが横行してきた。楽曲もさることながら、編曲に至っては列挙するときりがないほど。これはたんじゅんに恥ずかしく破廉恥なこと。そもそも作曲も編曲もとってもおもしろいいとなみなのに、それをあらかじめ放棄してしまうなんてばかばかしい! 



ただし、なかには興味深いフィロソフィを持った確信犯もいて、それはアメリカ音楽を至高とする大瀧詠一さんでかれは、ユーミンのように自分で作曲することをむしろ恥と考える! そんな大瀧詠一さんは、けっして自分では4小節たりとも作曲をおこなわず、1曲のなかに数曲の既存の素材をぶち込むコラージュを行う。マニアックで淫靡な遊びですね~。なお、この遊びは編曲家、井上鑑さんがいらしたからこそあれだけの完成度が極められたことでしょう。なお、近年は著作権法が厳しくなっているから不可能な遊びです。


他方、自分で天真爛漫に作曲するユーミンとて、ときにはDiana Rossの Touch me in the Morning を素材に『朝日のなかで抱きしめて』を作ってもいて。





2曲聴き比べるとユーミンのはちゃんと中国風五音階に仕上がっていて、その素っ頓狂で(雨ざらしのピアノのような)メロディ感覚がユーミンらしい。 ただし、ユーミンのそういう支那ふうのメロディ感覚を、細野さんや大瀧さんは耳障りに感じ嫌ったことでしょう。いずれにせよ、『朝日のなかで抱きしめて』は、ダイアナ・ロスの曲からアイディアをもらって、独自の世界を描きあげていて。



とはいえ、繰り返すけれど、日本のポップス・シーンには丸パクリ楽曲もまた多い。編曲に至っては、欧米のアレンジを耳コピして、五線譜に起こせりゃアレンジャーっていう風潮さえあった。そんななか興味深い事例は、坂本龍一さんがサーカスの『ミスター・サマータイム』の編曲でレコ大編曲賞を受賞しておられて。坂本さんは髪をかきあげ、「あ、ジョージ・ベンソンみたいなのやればいいのね?」って鼻歌歌いながら、15分ほどで五線譜を書き上げたことでしょう。しかも、あの編曲はスタイルをコピーしていて、けっしてなにかの編曲を盗作してるわけじゃない。坂本さんは一方で世ずれた仕事人でありながら、他方で(サーカスについてはともあれ)音楽のおもしろさと可能性を信じていた。



ぼくは個人的には、1970年代チューリップの編曲をなさった青木望さんが好きです。東芝がオーケストラを持っていた贅沢な時代のアレンジャーですね。そもそもビートルズだって、もしもジョージ・マーティンがいなけりゃ、どうなっていたことやらです。


thanks to 湘南の宇宙さん


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