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いわゆるインネパ料理店について。‐頭でっかちで情報に誘導される日本人の食べ手と、愛すべきネパール田吾作料理人の悲劇的関係。

いわゆるところのカレオタ(カレーおたく)になると、インネパの現実に関心を持つようになるもの。すなわち、いまや日本中に林立する〈ネパール人による北インド、定型パンジャビ料理店〉について、なにかひとこと言ってみたくなるもの。ただし、ぼくは言いたい、この現実はそうかんたんに良いだ悪いだ言えるようなことじゃないのよ。



なお、ぼく自身はカレーなる言葉はまったく定義不能ゆえ、なるべくカレーという言葉を使わないように心がけています。そもそもぼくが愛するのはパンジャビ料理、西ベンガル料理、ケーララ料理、タミル料理、はたまたネパール料理、スリランカ料理、バングラデシュ料理である。もっとも創作料理にたまに惚れることもあるし、インネパ料理もまたいくらか同様ではあって。ただし、インネパ店がふるまっている料理は、(いささか極端に誇張されてはいるものの、基本的には)北インド定型パンジャビ料理と見なすこともできる。それでもどうしてもインネパ料理をリアルインド料理と峻別したいならば、それはいわゆるガチ中華に対する〈日本の中華料理〉のポジションに相似的である。


とはいえ、そんなジュリアス・スージーなる素性の怪しい存在は、2010年代初頭に、一部のみなさんに「カレーの中心で愛をさけぶ」とおもしろがられたもの。このエッセイの書き手がどなたか存じませんがぼくをよろこばせてくれました。ありがとね♡


では、いったいぼくはなぜくだんのエッセイを書いたのか? ぼくはただシーンの混乱を整理したかっただけのこと。当時00年代から10年代前半は、それまで日本人が慣れ親しんできたカレーライス、そして1970年代以降隆盛をきわめた定型・北インドパンジャビ料理(大きく焼き上げれたナン、熱々ジューシーなタンドゥーリチキン、サグパニール、バターチキンカレー・・・)に加えて、まったく違った枠組をそなえた南インド料理が登場参入したことによって、日本のインド料理シーンに混乱が生れた。ぼくはそんな混乱したシーンに対して、交通整理をしたかっただけのことではあった。



さて、ここからが本題。00年代以降のこういった流れにともなって、他方でめちゃめちゃ日本に増えていったのが、インネパと呼ばれもする、ネパール人スタッフによる北インド、定型パンジャビ料理店の隆盛である。


じっさいにはネパール人経営のレストランとて多様で玉石混交、業態も多種多様である。たとえば早くから誇り高くすばらししい正統ネパール家庭料理をもふるまってきた小岩そのほかのサンサールがある。後発ながら山間部のネパール家庭料理の凄みを見せつけているプルジャ・ダイニングもある。さらには資本力にまかせてゴージャスな空間とともにハイソな(死語?)ネパールレストラン料理を提供する新大久保ナングロガルもある。マイナーながら目黒のバルピパル・キッチンもまた料理がすばらしい。


他方、ネパール人料理人でありながらインドで仕事を覚え、優れたインド人料理人とまったく遜色のない優れた人もけっこういる。


さて、これを前提とした上で、たしかに街場には、ロクに資本もない癖に(まるでテントを張るように)ネパール人たちが粗製乱造にレストランを開業し、定型パンジャビ料理を提供していることもまた誰もが認識できる現実ではあって。もっともそんなレストランとてなかには良い料理をふるまっている店もあって、けっして一刀両断にインネパを否定できません。ただし、いずれにせよこんな現実があるがゆえ、こんな記事が現れる。




室橋裕和さんによる元記事(著作『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』集英社新書、2024年)はおおよそぼくの認識とも合致しているようです。ざっとこんな趣旨でしょう。

(1)ネパールは国が貧乏ゆえ多くの国に出稼ぎに行く。もちろん日本にも。
(2)インド~ネパール人ブローカーがかれらに来日をあっせんし、インド~ネパール人をカモにする。
(3)あどけないネパール料理青年は、ゴールドラッシュの幻想に騙されて、大金払って来日する、しかし、そんなネパール人に待っているのは、苦労、苦労の連続。在日ネパール料理人はつらいよ。ざっとこんなストーリーですね。なお、このストーリーはけっしてネパール人のみならず、インド人料理人にもまたあてはまるのですが。なるほどネパールとインドのGDPは蟻と象。しかしながら貧乏人が生きる現実は、GDPでは測れない。


この記事はていねいな取材によって現実に迫るものであって、ぼくに異論はほぼありません。ただし、ここには抜け落ちている視点があって、ひとつには国籍がどうあれ優れた料理人はいくらもいること。最高の日本人フランス料理人もいれば、堂々たる日本人中華料理人もまたいるでしょ。ネパール人インド料理人とて同じことです。


次に、日本のレストランマーケットは、あらゆる意味で過酷な情報戦争に巻き込まれていること。情報とはそこに他との差異(違い)をつけること。もちろん料理そのものに新しさをつけるのが本筋ながら、まずは料理名表記で差異化を図る。たとえば、南インドレストランは、チキン・カレーをコーリー・コロンブと呼び、魚カレーをミーン・コロンブと表記することで、マニアたちを誘惑する。たしかにそこには南インドならではのスパイス使いがあるとはいえ。(なお、この風潮に逆張りをする南インドレストランはビリヤニを「釜飯」と、サンバルを「けんちん汁」と、ワダを「がんもどき」と表記して客の関心を誘う。なお、このいたずらはかつてぼくがご近所づきあいをしていた西葛西の某店でおこなったもの。なお、アルファベットによる正式料理名表記との併記としてですが。)もちろんどのジャンルの飲食店も同じことをやっていて、たとえばファミレスは「天然エビフライ&紅ずわい蟹のクリームコロッケ&ハンバーグ」なんてネーミングで得意顔です。高級フランス料理店に至っては、もはやなにがなんだかわからない呪文のような料理名を誇らし気につける。しかも、とっくに日本人の舌はうまみ調味料に慣れきっておかしくなっています。こうして飲食業界の乱戦は誰も止めることができず、もはや手がつけられないありさまです。



これに対して、一部例外的な都会っ子カトマンドゥー育ちのネパール人を除いて、ネパール人レストラン関係者たちはまったくこの現実が見えていません。しかも、かれらには提供するサーヴィスに情報価値をつける知力の持ち合わせもありません。かれらはただおいしい料理を安く提供し、笑顔でサーヴィスすれば店は繁盛するものだ、とあどけなく無邪気に信じています。考えることは他店より10円でも安く料理を提供し、チーズナン食べ放題にして、街頭に立ってありふれたビラ(マンゴーラッシー一杯サーヴィス券つき)を撒くことくらい。



しかも、不動産屋はインド料理屋の新規開店には消極的です。(物件にスパイス臭がついて物件価値が下がるから。)したがってインド料理屋を経営するとなるとおのずと既存店舗の閉店物件を狙うことになる。旧店主による又貸しも横行。しかし、閉店する店の過半数はロケーションが悪い。すなわち、野心家のネパール人レストラン関係者には、いたるところに不幸が待ち受けています。なんというホラーストーリーでしょう。



考えてみてくださいな、いまや40歳以下はデジタルネイティヴがあたりまえ。とうぜん日本人もまた頭でっかちで、食への好奇心は世界一、しかも移り気で飽きっぽい。こんな頼りにならない日本人たちを相手に(都会っ子のカトマンドゥー育ち以外の)信じがたいほど田舎者の田吾作ネパール人たちが、ナン焼いて、タンドゥーリチキン焼いて、バターチキンカレー作って、魔界ジャパンで生き残ってゆくことは、並大抵の苦労ではありません。日本人経営の飲食店とて3年を越えて営業するのは至難の業だというのに。


頭でっかちで情報に誘導される日本人の食べ手と、あどけないネパール田吾作料理人の悲劇的関係。これはもうどうしようもないことかもしれません。ぼく自身には敬愛するネパール人料理人が半ダース以上はいる。ただし、ぼくが愛するのはあくまでもネパール料理専門店であって、いわゆるインネパ料理店で食べることはとても稀だ。おいしい料理をふるまう店もあることをわかっていながら。にもかかわらず、そんなぼくはインネパという言葉を読んだり聞いたりするたびに、心がぞわぞわする。おまえらそんな上から目線でしゃべんなよ、と、ついぼくはおもってしまうのだ。はたしてぼくにそれを言う資格があるかしらん? ないかも? そんなぼくの希望は、どなたか、インド料理について信頼できる審美眼をそなえ、たんねんなインネパ店フィールドワークをおこなうインネパレストラン専門レヴュアーが現れて欲しい。なぜなら、インネパ店評価もまた(総論や傾向ではなく)個別に具体的に微に入り細を(差異を!)穿つようになされなくては意味のないものだから。




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