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明治期の国家神道は有効

山本七平の「空気」について、色々と考えると

明治以降のこの国のあり方

について、色々と思うことが出てきました。今回は、その中でも

国家神道

について、考えます。昭和の戦前・戦中には

国家神道の悪い面

がでて、敗戦に繋がりました。しかし、これは

時代の変化適応できなかった指導者

が悪いのです。

そこで、明治期に於いて

国家神道の役割

について、もう少し考えました。

私の考えでは

信仰は信じる人の心が求める

モノが支えています。言い換えると

理屈や権力の強制

では、信仰は成立しません。

さて、ここで明治の大衆は、何を求めていたのでしょうか?

私が見るに、当時の大衆は

とりあえず生き延びる

ことが第一です。彼らは

幕末の武士社会の殺し合い
アヘン戦争など西洋列強の侵略

の恐怖を実感していました。また、商人達は

貨幣経済への対応困難

と言う状況も感じていました。一方、これに対して、徳川幕府は

武士達の殺し合いを押さえる力なし
貨幣発行の信用も維持できず

と言う状況でした。

このような状況で

神の国である日本
天照大神の子孫である
天皇陛下の絶対権力

と、皆が信じ、天皇を崇拝することで

法の裁きによる解決
紙幣の流通
他の国のように植民地化しない

と言う

新しい社会で現実的な利益

を得ました。

このような

科学などの文明の力
の裏付けのある権力
これを信じ従わせる手段

として、明治の国家神道は、一時的には有効だったと思います。

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