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人は何故生きるのか【1409文字】


あくまで、自己の考えであり
これまでのカウセリング等で
自分で見つけた個人的な意見です。

また暗い話になります。

一部不快に感じる表現があります。
ご注意ください


今回、私の大好きな
さんちゃんのエッセイを読んで
私も今の気持ちを
書いてみようと思った。


カウンセラーに
「生きているってあなたにとって、
どういう事だと思う?」
と問われた。

私は
「なんで、生きてるでしょうね?」
と、迷い
「死ねなかったからですかね?」
と答えた。


「生きる」事に価値がなかった。
私が欲しいのは
「死ぬ事」だったから。


「生きてるのは、死ねなかったから」
ただそれだけだった。


過去の私。

何度目かのチャレンジで
視力は低下した。
次に、消えない傷が出来た。

投与された薬で
脳から指先の伝達は
うまくいかなくなった。
自分についている
指先の様なもの。



発作、睡眠障害、不安……。
チャレンジと共に
処方される薬は増えていった。
軽く、薬だけで
お腹いっぱいになるんじゃないだろうか
そんな気さえした。



自死した人を羨ましく思った。


チャレンジの度に
減っていく行動範囲と
体の可動域。


耳は遠くなった。
感情を、表現できなくなった。

人前に出られなくなった。


頬はコケ、結婚指輪は
外そうとしなくても
抜け落ちる程になった。

味覚を失い、
ただ生かされているだけになった。


もう嫌だ。
もうチャレンジすることに
疲れた。

そして私は逃げて
逮捕された。

裁判が終わり、
不自由の中に戻ってきた私。


それから、
転院とカウセリングや
治療が加わった。

無理矢理減薬した私は
生きている事に苦痛しかなかった。

1年過ぎて、減薬に成功し
カウセリングを通して
自分を探せるようになった。


平衡感覚がズレている
自分の体。
目に見えない不自由な体。
体も心も服を着れば隠せる。

もう一度チャレンジする事が
なくなって1年がたった。

不思議だった。
春夏秋冬、何もなく過ごせた事が
不思議だった。


人には「生」きなければいけない
時間がある。
ソレが切れるまで
「死」は訪れない。
その時が来るまで
待たなければならない。


今度チャレンジしたら、
きっと私は自分自身で
行動する事が不可能になるだろう。

本当に、ただ「死」を待つだけの時間を
過ごさなければならない。

今、私は行動が制御されている。
再チャレンジするのが
難しい状況だ。


ただ、チャレンジしないのは、
他の要因もできた。

子供達。

現実問題、親族のゴタゴタに
巻き込まれていて、
今の所、その問題は私で留まっている。

こんなゴタゴタに
巻き込むのは子供達に
悪い気がして
私がいないよりは、
いたほうがいいのか。
と考えた。


最近、もう一つ要因ができた。
同じ様に自○志願者(笑)
仲間ができた。

死ぬ時は一緒だぜ!
なんて意気投合した。
周りにとっては、
全く迷惑な話だが(笑)



傷だらけで
不自由な体を動かし
生きている。

死ねないから生きている私。

生活は楽ではない
だが、noteにいる
スズムラは、自由に生きている。

彼女の生き方が羨ましい。
笑顔で文章を読み
楽しそうに文章を紡ぐ。

他人と交流している。
私にはできない事が可能な
彼女は、日々「生きている」


彼女が楽しそうに
スマホを見ている姿。

私は、布団の中でただ「死」を
待っている。
今は、布団の隙間から
彼女の「生」を見届けて見る事にする。


【目次】女子留置所の中【説明】3|スズムラ

人間、絶望の先に
まだ奈落がある事を知ると
普通の生活が
いかに幸せなのか
感じました。

「生きる」「死ぬ」より
辛い事を自分自身で
感じなければ、今の私
いなかっただろう。

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