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涙、涙

 耳の調子は、良くなったり悪くなったり。
それでも絶不調の時よりかは随分ましで、日常生活に支障をきたすことは無くなったので、最近の治療の方向性は、耳の症状含めた慢性的な体調不良の改善に移りつつある。毎回「気が張ってるね〜、ストレスだね〜〜」が先生の決まり文句になっていて、徐々に、原因を探るような会話が増えてきた。

そして前回と今回の診察で、ありがたくも恐ろしいことに、先生が私の闇に気づき始めてしまった。
「連休は実家に帰るんですか?みんなで集まって近況報告とかしないの?」
「お母さんに自分の気持ちをバーン!とぶつけてみたら?」
「子どもの時に子どもになれなかった人は、大人になって苦労されるんですよ。よくいらっしゃいますよそういう方が・・・」
何かと家族の話題を振っては、誰にも心を開いてないのねぇ。と確認しているようだ。

こちらは全部の質問に「いやぁ・・・あはははは・・・」としか返せない。
ヘラヘラしながらうつ伏せになり、心臓の裏側あたりに鍼を刺されて、しばらくじっと休む。最近はこの時間に涙が出ることが多くなった。ツボの効果?いつも堪えているのに力が抜けて、涙が流れる。
鍼を打ったら先生は隣の患者さんのところに行くので、鼻を啜らないように気をつけながら、涙を袖の内側で吸い取る。どうか泣いていることがバレませんように。

 元々耳が聞こえなくなったのも、仕事のストレスだけが原因じゃないことは自覚していたし、慢性的な体調不良は幼児の頃から続いているので、自分の中で原因はもう分かっている。
原因は、親。普通の人が言う親じゃない、『親』という名前のモンスター。
生きるのに苦労している人は、親で苦労している確率が非常に高いと思う。
親に貰った呪いはジワジワと効いてくるので、20代では若さや勢いで乗り切れるが、30代に突入した途端しんどくなってきて、電池が切れたように体が動かなくなってしまう。

特に女の30代は色々ある。とりあえず生きるのに精一杯という私でも、同僚や友人が出産したりして子どもと触れ合う機会が増え、幸せのお裾分けを大変ありがたく頂戴している。そして同時に、自分の親の異常さを思い知ることになった。

無論、普段接する子どもたちに負の感情を抱くことは全く無い。むしろ、子どもってなんて小さくて可愛くて、尊い存在なのだろうと思う。少しでも扱いを誤ったら壊れてしまいそうな儚さもある。よちよち歩く3歳の甥っ子を見ると、どうか健やかに育ってと願わずにはいられない。
そして同じくらいの歳の私をぶん殴り食事を与えなかったのがうちの親か。なるほど。

会社では、子どもがいる人同士、今度の休みはどこへ連れて行こうか、〇〇公園はいいよ、としょっちゅう話している。子どもに〇〇の景色を見せたいとか、〇〇を食べに行ってみようとか。そっか、休みの前には計画を立てて遊びに連れていくんだな。この人たちは、どうやったら子どもが喜ぶか悩んでいるんだ。当たり前か。知らなかった世界は、どうやら世間では当たり前のようだ。


 私の幼少期は、本当に色々あったな。
会社とか家とかふとした瞬間に思い出して、胸がぎゅうとなって涙がボロボロ溢れる。元気になろうとすればするほど、調子が悪くなっていく気がする。
子どもの頃、どんなに辛くても我慢することで立派な大人になれるのだと思って頑張ったのに、ボロボロになった心と体だけが残った。アルバイトで貯めたお金も、使い込まれた。
人と比べて悲しいんじゃない。子どもの時の努力(我慢)が、今の自分にマイナスに働いていることがとても悲しい。

先生は、
「悩んだって解決しないことを考えても意味無いからね。頭使うのを止めて、発散してください」と言うのですが。。。
(そんな事は分かっとるわぁぁぁーーーーーー!!それができたらこんな体にはなっとらんだろぉぉぉぉぉ!!!!!!)心の中で反抗期が始まる。。。

虐待というのは被害を受けた当時が一番辛いのだろうが、大人になって受ける2次被害みたいなものもある。傷ついた心身に縋り付いてくる親、理解のない人からの心無い言葉。何より、自分の人生や新しく築く家庭に希望が持てない。少し疲れてるのかも。

それでも、泣いてばかりいたら頑張ってきた自分が可哀想だ。ようやった!よくぞ生きとった!と、私が言わなくて誰が言う。
先生の言っていることは、やっぱり正しい。。。

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