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【小説】病院ねこのヘンナちゃん⑧(プロローグ)

これまでのお話:アタシは漢方クリニックに保護されている子猫。助けてくれた優紀君のお母さんは、ひどいアトピーのせいで仕事がうまくいかない。シングルマザーとして頑張らなくちゃいけない、息子を守らなければいけないと思えば思うほど、焦りが募り追い詰められる。ヒヨコ先生、どうするの?

病院ねこのヘンナちゃん①

病院ねこのヘンナちゃん②

病院ねこのヘンナちゃん③

病院ねこのヘンナちゃん④

病院ねこのヘンナちゃん⑤

病院ねこのヘンナちゃん⑥

病院ねこのヘンナちゃん⑦


美祈さんが語り終えるまでに、ヒヨコ先生は3回、ハーブティのお代わりを注いだ。

「それで?」とか「うんうん」とか以外は口を挟まず、大げさなリアクションもしなかった。

たくさん話した美祈さんがはーーーっと息を吐くと、それを合図にしたかのように、先生は両手両足をぐーーーっと伸ばした。

は?今ここでストレッチ?

それ、おかしいでしょ、先生!

でもヒヨコ先生は首までコキコキして、身体をほぐしている。

これ、大丈夫なの?

アタシは窓からのぞいているポニーのポポちゃんに、目で問いかけた。

でもポポちゃんは慌てず騒がす、大きな黒い目でこっちを見ているだけ。

動じないわね、アナタ。


だけどこれがヒヨコ先生のペースなのね。

なんだかこの部屋だけ、時間がゆっくり流れているみたいに感じる。

やがてヒヨコ先生はソファから体を起こして、うつむいている美祈さんに顔を少し近づけた。

「ねえ、美祈さん。私は思うんだけど、人間の心はコップみたいなもの。

コップの容量は人によって違う。

でも感情をため続けると、そのうち満杯になって溢れちゃうんだよね。

だから少したまったら、その都度、外に出さないといけない。

そうしないと心がパンクして壊れちゃう。」

「?」

「あなた、まだちゃんと泣いてないんじゃない?」

「そんな…」

「肌のトラブルは、2年前からでしょ?

それは体からのサインだよ。

もう限界だから気づいて…って、心が叫んでいる。

容量オーバーで心のカップが溢れちゃった。

そして行き場をなくした感情が、皮膚から外に出たがっている。

私はそんな風に感じるんだけど。」

ヒヨコ先生、それどういうこと?美祈さんも困惑してるよ。

「ご主人が亡くなった直後から、頑張らなきゃと気を張って、自分の悲しみを見ないようにしてきた…、そうかな?」

「悲しんでいる暇なんて。優紀がいるのに…。」

「人間はそんなに器用じゃないよ。なかったことにはできないの。」

ヒヨコ先生は美祈さんの手を取った。

「ご主人の名前を言ってみて。」

「なおき…さん。」

「もっと大きな声で。」

「直紀さん。」

「彼に、直紀さんに言いたいことがあるんでしょ?」

美祈さんが息をのんだ。

「ちゃんと言って。今、言って。」

「なおき…。」

声が気の毒なくらい震えている。

「なおき…、どうして死んじゃったの?」

「うん。」

「なおき…、怖いよ。不安だよ。寂しいよ。」

「うん、それから?」

「なおき、会いたいよーーーーーー!」

絶叫とともに、ついにお目々のダムが決壊し、涙がほとばしった。

あああああああああ!

「ママ!」

母親の泣き声を聞きつけ、居ても立ってもいられなくなったであろう優紀君が、部屋に飛び込んできた。

「ママ!」

「優紀…、ママ、寂しいよ。パパに会いたいよ…」

涙でぐちゃぐちゃになりながら、優紀君を抱きしめる。

美祈さんにしがみついた優紀君も泣き出した。

「僕も!僕もパパに会いたい。ずっと会いたかった。」

「なおきさーーーん。」

「パパーーー。」

二人のえぐるような悲しみが迫ってきて、アタシも胸が痛くなる。

こういうの、共鳴っていうの?

抱き合って泣きじゃくる親子の足元をグルグル回りながら、アタシも一緒になって泣いた。

ミーーン、ミーーン、ミーーン。


どのくらいそうしていたかしら…、涙も声も枯れて、美祈さんと優紀君は放心したように座り込んだ。

「いっぱい溜まってたねぇ。びっくりだわ。」

ティッシュを箱ごと渡すヒヨコ先生。

二人ともお目々がポンポンに腫れて、お鼻も真っ赤でトナカイみたい。

だけどどことなく力が抜けて、安らいだ表情をしている。


「さて、美祈さん。」

二人が落ち着いたところで、ヒヨコ先生が口を開いた。

「まずその手をなんとかしよう。

抗生物質の点滴で細菌感染を抑えて、あとは服薬と薬草蒸し。

絶対よくなると信じて、漢方を試してみて。

明日、保険証を持って、外来にいらっしゃい。」

ヒヨコ先生ったら、ちゃんとお医者さんの顔になってる。ちょっと格好いいかも。

「アトピーに人生を左右されることなんて、ないからね。」

「はい。」

「それから症状が少し落ち着いたら、あなた、うちで働かない?」

「え?」

「ちょうど薬草蒸し担当のスタッフが産休に入るのよ。優紀くんが学校から帰ってくるまでの時間でいいわ。」

…なんとヒヨコ先生ったら、新規の患者さんをリクルートしちゃった。


アタシとヒヨコ先生は、手を繋いで帰っていく親子を見送った。

「ずいぶんと無理をしていたんだねぇ、美祈さんは。」

親子の背中が少しずつ夕闇に紛れていく。

「あんなに頑張っていたのに、まだまだ足りないと自分を追い込んで…。

その罪悪感から、ただれた手で優紀君に触れてはいけないと思い込んじゃった。」

ヒヨコ先生は足元にいたアタシをひょいと抱き上げた。

「あの2人のために、なにかできるといいね。」

うん、うん、うん。

アタシでお役に立つなら、なんでもするわ。

ミャオ!


アタシの言葉が届いたのか、ヒヨコ先生はニッコリ微笑んだ。

「さてそれじゃ、君はうちの子になるか?」

え?優紀君ちの子じゃなくて?

「美祈さんはアレルギー体質かもしれないから、アレルゲンはなるべく遠ざけないと。」

アレルゲンですって!失礼な。

ダニやハウスダストと一緒にしないでよ。

…でも、クリニックで暮らすのは悪くないかも。

人間も動物もたくさんいて退屈しない。

それに美祈さんがここで働いてくれたら、優紀君にも気軽に会えるしね。

いいよ、ここの子になってあげても。

「なら、いいかげん名前を決めないと。」

それな!アタシも気になってたの。

"ネコちゃん"なんて総称が定着したら、どうしようって。

「実はもうぴったりの名前、考えてあるんだ。」

え?そうだったの?なになに?

アタシにぴったりの名前だから、ありふれてなくて、ゴージャスで、壮麗な名前よね?

「それでは発表します。お名前は"ヘンナちゃん”です!」

はあ?

「だって顔の模様が、すっごく変なんだもーーーん😆」

ちょ、待てよ、ヒヨコ!

それはあんまりでしょ。

確かに左右非対称の模様だけれど、正統派の三毛猫なのよ。

ミャオミャオミャオ。

アタシは精一杯の抗議をした。

「あ、気に入った、ヘンナちゃん?」

トンチンカンな解釈しないで!

「ヘンナちゃ~~~ん、ヘンナちゃ~~~ん、変なお顔のヘンナちゃ~~ん。🎵」

調子っぱずれの鼻歌を歌いながら、ヒヨコ先生はご満悦だ。


抗議も虚しく、問答無用でアタシはヘンナちゃんになった。

漢方クリニックの病院ねこ、ヘンナちゃん。

でも、まあ、いいか。

こんな名前、きっと世界にひとつしかないだろうから。

それにアタシはヒヨコ先生がけっこう気に入ったから、クリニックの一員になれて、実は嬉しいの。


ここだけの話、アタシには野望がある。

このクリニックは一般の病院とは少し違う。

何がどう違うのか、アタシはその秘密を暴いてみたいの。

そしてクリニックのことは何でも知っている生き字引みたいな存在になって、エム姐さんより先にHPのトップに載ってやるーーー!

そのチャンスを虎視眈々と狙うんだ。(虎じゃなくて猫だけど)

覚悟しておいてね、ヒヨコ先生。


「ヒヨコ先生ーーー、患者さんがお待ちですよ」と瀬那さんが呼ぶ。

「やれやれ、瀬那は人使いが荒いねぇ。おいで、ヘンナちゃん。」

アタシはブラックな野望を押し隠し、ミャア💕と可愛いお返事をした。

~プロローグ終わり~

病院ねこのヘンナちゃん⑨

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