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【小説】病院ねこのヘンナちゃん①(プロローグ)

吾輩は猫である。名前はまだない。

・・・なぁんていかにも孤高風に語っちゃってるけど、名前もないなんてダッサ。

アタシ?もちろんあるわよ、名前くらい。

アタシの名前はヘンナちゃん。

今はクリニックに住んでるけれど、ここだけの話、実は捨て猫だったの。

まだ目も開かない小っちゃなベビーのうちに、捨てられちゃった。

お母さんのおっぱいがなければ生きていけない子猫を、よくも野原に置き去りにしたわね。

血も涙もないとは、このことよ。

夜露に体が濡れて、寒くて・・・、お腹がすいて・・・。

ミーミー鳴きながら、闇雲に這い回っていたら、ドブに落っこちちゃった。

もうダメだ。アタシはここで死ぬ。

短い猫生だったなぁ・・・って、魂が還っていくであろうお空を見上げた。

アタシを迎えてくれるのは青い空、白い羽の天使が迎えに来るの?

遠のく意識の中で、アタシは足音を聞いた。

お母さんじゃない。

本能は逃げなきゃとアラートサインを送ってきたけど、もう1ミリも動けない。

どうなってもいいよ。どうせ死んじゃうんだし。

「あ~~、ネコがいる。」

それが最後に聞いた声だった。


次に目が覚めた時、アタシはふかふかのタオルにくるまれていた。

なにこれ?どこここ?もう天国?

「気がついたよ。」

頭上から声が降ってきた。

力を振り絞って声の方に首を回してみたけれど、そっか、アタシはまだ目が開いてないんだった。

誰だろう?アタシ、捕まったの?殺される?

お母さん、怖いよ・・・。

「猫ちゃん。よしよし、大丈夫だよ。」

タオルの外から指が伸びてきて、アタシの頭を撫でる。

「先生、猫、生きてる?死なない?」・・・さっきとは別の声。

「うん、すごく小っちゃいから難しいかもしれないけれど、お世話してみるね。

だけどユウキ君はもう帰りなさい。遅くなったら、お母さんが心配するから。」

「分かった。明日、学校が終わったら、また見に来る。それまでお願いします。」

ユウキ君は、アタシのほっぺに触った。

「ネコちゃん、頑張って。」

タオルの上からずっとアタシの体をさすっていた手が、ユウキ君の頭を撫でる。

「また明日ね。ユウキ君。」

「さよなら、ヒヨコ先生。」

名残惜しげな足音を残して、ユウキ君は帰っていった。

「さて、君はお腹が空いているかな?」

ヒヨコ先生がアタシの顔をのぞき込む。

ヒヨコ・・・って、なに?あんた、ニワトリなの?


ミルクね、猫用のミルク、あったかな・・・、一人でブツブツ言いながらヒヨコ先生はアタシを置いて隣の部屋に行ってしまった。

ところでここは、どこなんだろう?

目が見えないから、あるかなきかのヒゲを精一杯ピンと伸ばして、辺りをうかがってみる。

ヒヨコ先生以外にも人間の気配・・・、空間的にはそんなに狭くはない。

そこはかとなく美味しそうな匂いもするけど、草の匂いもするし、薬品っぽい臭いもかすかに漂っている。

そして・・・獣の臭いも!

アタシは不安になって、不覚にも怯えた声を出してしまった。

パタパタパタ・・・スリッパの音がして、ヒヨコ先生が戻ってきた。

「ごめん、ごめん、不安になっちゃったね。」

この人、すごい。お母さんでもないのに、なんでアタシの気持ちが分かるの?

「猫用のミルクがなかったから、ワンちゃんので代用ね。少しだけビタミン剤を混ぜたよ、人間のだけど。」

アタシは鼻先に突き出されたスポイドにむしゃぶりついた。

はしたないとか、意地汚いとか、危機管理がなってないとか、そんなことはどうでもよかった。

だってお腹がペコペコだったんだもん。

最後におっぱいを飲んだのがいつだったのか、もう覚えていない。

犬用のミルクだって、かまうもんか。

でもスポイドは、おっぱいとは勝手が違って、飲みにくい。

お母さんのお腹にぴったりくっついて、おっぱいをモミモミしながら飲むのが最高なんだけど、贅沢は言ってられない。

生きるために、いっぱいこぼしながらも、アタシはミルクを必死で飲んだ。

お腹の中に温かいミルクがたまると、体がほわっと緩んできた。

ヒヨコ先生は、ミルクでベタベタになったアタシの口元をぬぐうと、そのガーゼでお尻をマッサージ。

いや、ちょっと、赤ちゃんとはいえレディになんてことすんのよ!

シャーーーッとかフーーーッとか威嚇したかったけど、哀しいかな、アタシにはまだできない。

でも、あれ?マッサージしてもらったら、出るモノが出てすっきりしちゃった。

「生後2週間くらいかなぁ。まだ赤ちゃんなのに、すごい試練だったね。」

ヒヨコ先生の声はとても優しくて心地いい。

気が抜けたアタシはなんだか眠くなってきた。

「ふふふ、お腹がいっぱいになったら、オネムになるよね~~。ゆっくりおやすみ。」

女の子は心と体を無闇に他人に任せてはいけない・・・って、お母さんが教えてくれたけれど、この人はいいんじゃないかなと思った、根拠はないけど。

まあ、仕方ない、他に選択肢はないのだから、お言葉に甘えて、このまま眠らせてもらおう。


翌日の夕方、息せき切ってユウキ君が駆けてきた時、ヒヨコ先生はお仕事中だった。

ヒヨコ先生は、漢方のお医者さん。

漢方っていうのは、そこら辺に生えている草を摘んで、乾かして、煎じて飲むと、病気が治っちゃう魔法らしい。

全然キリッとしていないけれど、ヒヨコ先生はどうも評判の名医とかで、予約はいつもいっぱいなんだって。

「あ・・・ちょっと、君!」と受付の人が止めようとしたけれど、勢いあまったユウキ君は、いきなり診察室に飛び込んできて叫んだ。

「ネコちゃんは?ネコちゃんはどこ?」

「ユウキ君、患者さんがいるから、外で待っててね。」

「あ・・・、ごめんなさい。」

ヒヨコ先生のデスク横で夢うつつだったアタシは、元気な声にびっくりして目が覚めた。

あの子が来たな・・・。

昨日、夜中にミルクを飲ませながらヒヨコ先生が教えてくれたことによると、ドブの中でガタガタ震えながら死にかけていたアタシを見つけたのは、学校帰りのユウキ君。

反応のないアタシをどうしていいか分からず、目の前のクリニックに助けを求めて駆け込んだんだって。

でもここは動物病院じゃなくて、人間のクリニックなんだけどね・・・とヒヨコ先生は1人でクスクス笑った。

患者さんとのお話が終わったヒヨコ先生は、タオルごとアタシを抱き上げて待合室へ。

「ユウキ君、ネコちゃん、元気になってきたよ。」

「本当?」

目をキラキラさせて、ユウキ君が顔を近づけてくる。

なんで目のキラキラが分かるかっていったら、今朝、アタシのお目々が開いたからだ。

まだ少しぼんやりしているけれど、光も物の形も目のキラキラもちゃんと見える。

ユウキ君は、ランドセルを背負った小学生だった。

「うん、昨日は3時間おきに、5ccずつミルクを飲んだよ。

今朝からは10ccに増やしてるけど、もっと欲しいみたい。目も開いたの。」

「わあ~~、ネコちゃん、僕のこと見える?」

見えるわよ。あの冷たい泥水の中から助けてくれたのは、あなたね。

こういう時、なんて言うんだったっけ?

あ、そうだった、『ありがとう』よね?

猫は誇り高い生き物だけれど、礼儀にはとても厳しいの。

感謝の気持ちは、しっかり表すわ。

ミーミー。

「鳴いたよ!」

ユウキ君の目はさらにキラキラ輝く。

「じゃ、ユウキ君、ミルクあげてみてよ。」

怖々手を出したユウキ君に、ヒヨコ先生はアタシを抱かせる。

抱っこ下手!アタシは身をよじらせて抗議する。

小さな体がタオルからすっぽ抜けそうになって、ユウキ君はさらにしっかりアタシを抱きしめる。

苦しいってば!

ヒヨコ先生がそっと手を添えて、体を安定させてくれた。

口元にスポイトが近づいてくる。

昨日のミルクとは、少し匂いが違う。

昨日のは犬用だったけれど、今日のは猫の赤ちゃん用ミルクだからね。

昼休みにスタッフさんが、ホームセンターまで買いに行ってくれたらしい。

3時間前にも飲んだのに、どうしてこんなにお腹が空くのかしら。

アタシは人目もはばからず、ゴクゴク喉をならして、ミルクを飲み干した。

ゲップ・・・。


あれから2週間、アタシは毎日、ミルクをいっぱい飲んで、どんどん元気になった。

体重も増えたし、1回に飲める量も多くなったから、ヒヨコ先生が夜中に哺乳しなくてもよくなった。

ヒヨコ先生は毎朝4時起床。

裏庭の畑と薬草園のお世話をして、クリニックのスタッフさんたちに朝ご飯の美味しいスープを作る。

それからクリニックで1日働いて、夜は併設の薬膳カフェでお客様をおもてなししてから、やっとお家に帰る。

それから家族のご飯を作るの。

めちゃくちゃパワフルなんだけれど、さすがに夜の10時過ぎにはぐったり疲れてる。

それなのに、夜中にアタシにミルクを飲ませるために、起きてくれたんだよね。

でもそれももう終わり。

一宿一飯の恩義以上のものを感じているアタシとしては、ヒヨコ先生が夜、ちゃんと眠れるようになって、よかったって思ってる。

だけどアタシは、相変わらず”ネコちゃん”と呼ばれていた。

そう、もう2週間になるというのに、名前をつけてもらっていなかったのだ。

あら、やだ・・・、我が輩ちゃんと同じじゃない。😅


名前がないのには理由があった。

ヒヨコ先生は、ある晩、アタシの顔をまじまじと見ながら言った。

「お前のお顔は、面白い模様だね。」

アタシのほっぺをつまんで、ムニムニする。

ちょっと、気安く触らないでくれる?

「ネコちゃんは、これからどうしたらいいかしらね。」

え?それ、どういうこと?

「私はね、動物の名前は、飼い主が決めるものだと思ってる。それは最後まで責任をもってお世話する人の特権なのよ。」

ヒヨコ先生は軽くため息をつく。

「ネコちゃんは、十分に元気になったし、ミルクも1人で飲めるし、もうすぐ離乳食も始まる。もう小学生でもお世話はできる。なのにユウキ君は、君を連れて帰るって言い出さないの。毎日欠かさず会いに来るほど、君のことが好きなのに。」

アタシはミルクを飲んで、眠って、大きくなることだけに一生懸命で、自分の行く末なんて考えたこともなかった。

でも、そう、そうよね、アタシはヒヨコ先生のネコになったわけじゃない。今は仮の住まいなのよね。

いきなり自分の立場の不安定さに、気づかされちゃった。

どうなるんだろう、アタシ・・・。

「いつまでも”ネコちゃん”じゃなくて、はやくお名前決めてほしいよね。」

ミーミーミー!

ほんとにその通り。

ちゃんとした名前で呼んで欲しいし、いつまでも宙ぶらりんな立場はイヤよ。

アタシは精一杯の声を上げて訴えた。


病院ねこのヘンナちゃん②

病院ねこのヘンナちゃん③

病院ねこのヘンナちゃん④

病院ねこのヘンナちゃん⑤

病院ねこのヘンナちゃん⑥

病院ねこのヘンナちゃん⑦

病院ねこのヘンナちゃん⑧


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