【小説】病院ねこのヘンナちゃん⑱(episode1)
ひとつ前のお話→病院ねこのヘンナちゃん⑰
最初から読む?→病院ねこのヘンナちゃん①
「本当は周囲に理解してもらって、そういう電話は誰かに代わってもらえたらいいんだけど、仕事だから、クレームの電話は取りません…と言うわけにもいかないしね。
そうね、まずクレームだと分かったら、ちょっと深呼吸。
そして『これはクレームだ。私個人への叱責ではない』と自分に言い聞かせてみようか。
それからちょっと自分の視点をあげる。
身体を残して、意識だけがその場から浮き上がったと想像してみて。
高い場所から自分を見下ろす…まるで幽体離脱しているようなイメージ。
ダイレクトに怒りを受け止めるのではなく、怒っているお客さんに対応している自分を、上から見ている。
そう、テレビを観ているような感覚でもいいかな。
クレーム対応をしている楓子さんを、テレビのこちら側から見ている。
そうやってワンクッション置くの。
相手の感情をダイレクトにかぶらないテクニックよ。」
「第三者のように見るんですね。」
「そうそう。」
「怒っている人と私の間に距離を置くんですね、心理的に。」
「そうそう。」
「相手の感情に共鳴しなければ、もっと落ちついて対応できるような気がします。」
「そうそう。」
「お客様の不満はなんなのか、どうして欲しいと思っているのか、会社として何ができるのか…、クレームにおろおろするのではなく、意識のフォーカスを『逃げ出したい』から『今できること』へ向けられると思います。」
「HSPにはHSPのやり方があるの。
最初からうまくはいかないかもしれないけれど、試してみてよ。」
「はい。」
「他に気になることは?」
「あの…」
楓子さんはちょっと言い淀んだ。
「ここでの話は、この庭の中だけのこと。誰にも言わないよ。」
ああ、楓子さんはそんなことを気にしていたの?
本当によく気が回る人。これじゃ疲れてしまうのも当然ね。
「会社に5歳上の先輩がいて、入社した時からペアで働くことが多く、とてもよくしていただきました。
ただ…ちょっと気分の浮き沈みが激しい方で…。」
みなまで言うな。分かるわ、楓子さん。
先輩の機嫌の善し悪しに、影響されちゃうんでしょ?
時々いるよね、職場や公共の場で不機嫌を隠さない人。
当人は自分の機嫌の悪さが、周囲を重苦しい雰囲気にしていることに頓着しない。気づいてすらいないかも。
職場は仕事をする所、職務さえ果たしていれば、機嫌なんか関係ないでしょ!…って。
確かに職場は仕事をする所。
だけどどうせ働くなら、気持ちよく働きたいよね。
不機嫌な人は不機嫌な人で、ちゃんと理由があるのかもしれない。
不機嫌になることで、相手を思い通りにコントロールできるしね。
だけど単に感情のコントロールを学んでいないだけという可能性もある。
先輩はどっちかしら。
「楓子さんは、先輩の機嫌がよくないことを、自分のせいだと思っちゃうんじゃないの?」
「え?どうして分かるんですか、先生。」
「えへへ。」
「そうなんです。何か私がしたかしら、気に障ることを言ったかしらとグルグル考えてしまって。」
「…で、どうするの?」
「確かめることもできません。顔色をうかがいながら、ビクビクしているだけです。」
「でも先輩は次の日になったら、ケロッとしてたり?」
「ええ。だから私のせいではなかったんだな…と、ほっとします。」
「まぁ、いい大人なのに感情をダダ漏れにする先輩も先輩だけど、楓子さんもいちいち人の機嫌に振り回される必要はないんだよ。」
「それはそうなんですが…」
「自分の機嫌は自分でとる。これ、大人のたしなみ。」
へえ~~、いいこと言うね、ヒヨコ先生。
でもアタシはまだ子どもだからね。みんなで寄ってたかってちやほやしてね。💕
「そしてね、楓子さん、貴女に人の機嫌の責任はない。
私たちはみんな、自分の機嫌にしか責任を持てないから。
まずそれをしっかり覚えておいて。」
「人の機嫌に責任はない…」
「そうよ。だから自分のせいかしら…と、いちいち気に病まなくてよろしい。
私たちが不機嫌になる理由なんて、掃いて捨てるほどあるでしょ?
よく眠れなかった、鼻の頭に吹き出物ができた、眉毛が左右対称に描けなかった、ネイルが剥げちゃった、寝坊した、買いたかったクロワッサンの最後のひとつが前のお客さんに取られちゃった、タッチの差でバスに乗り遅れた、頑張った仕事が認められなかった、同期が先に出世した、夫婦げんかをした、忙しい朝に限って子どもがだだをこねた…。
端から見ればくだらないことでも、不機嫌の原因にはなるよね。
それに女性なら生理の周期もあるし。
あなたのせいではありません。」
ヒヨコ先生は高らかに宣言した。
「だからね、先輩が不機嫌な時は、『あ、今日は機嫌が悪いのね』とその事実だけを受け止める。
そして放っておけばいいの。
先輩が放つ不機嫌オーラがイヤだったら、できるだけ物理的な距離を取る。
お昼ご飯も別々に行くとかね。
さっきのテレビを観ているイメージも役に立つかも。
不機嫌な先輩は、テレビ画面の向こうで勝手にイライラしている…と思うの。」
ふ~~ん、シチュエーションが丸ごとテレビの中の出来事だと思うのね。
自分も登場人物のひとりに過ぎない…ってことか。
じゃあ、アタシも、エム姐さんにちょっかい出してシャーーーッて怒られた時、『あら、あの猫、怒りっぽいキャラねぇ』とドラマの中の出来事みたいに思えばいいのね。
「大事なことは、人の不機嫌に引きずられないと、楓子さんがしっかり心に決めること。
そして楓子さんは、楓子さんの1日を、機嫌良く過ごすのよ。」
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