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「推し」と言えない私の「好き」。

 そもそも「萌え」が、その感覚はわかるのだが、私には抵抗がある。
星野源が自称オタクとオールナイトニッポンで聴いていたが、その頃くらいから「オタク文化」は市民権を得てきたように私には見える。
かく言う私は、たぶんオタクなんだろう。自分の趣味、好きなことを堂々と言える環境ではなく、むしろそのことを無防備に話すと変な顔をされることが多かったので、黙ることにした。中島みゆきの「私のおすすめ曲」を、CDに焼いて高校時代の友に送ったところ、「こ、これは。」と、私は、いい曲だと思っていたが、ドン引きされてしまい、あ、重かった?と気を使ってしまう。

人の「好き」は、わからないものだ。例え仲が良くても。

 今タイムフリーで聴ける星野源のオールナイトニッポンに荻上チキとの対談があって、推しの缶バッチをつけることは、自分を癒すことだと優しく言っていた。
なんでも肯定してくれる「肯定ペンギン」もキャラでぬいぐるみ化されたことも、心から喜んでいらっしゃった。そうか、そんな癒しがあるのかと勉強になった。

 「萌え」は、私が若い頃ちょくちょく買っていた「MOE」というイラスト雑誌が語源なのかもと思った。でも、堂々と「もえ〜!」と言える世の中にやっぱり違和感を感じる。私は星野源も好きだし、菅田将暉も好きだし、それぞれのラジオ番組「オールナイトニッポン」も大好き。でも「推し」ではない。
そう私にとって好きは「推し」はないのだ。ファンだからグッズを買うとかファンクラブに入るとか誰かと共感するものでは、決してないことなんだな。と思う。

 部屋に好きなアイドルやアーティストのポスターを貼ることもしない。
ダイソーなどでファンが持つであろううちわが売ってあると、本気で「いいなあ」と思う。この歳になると、「韓流」「純烈」「氷川きよし」が「推し」になるのかしら。うーん。いささか私はどうやら違う。

 先週、同じ歳の20年ぶりに会う彼女と梅田でランチをすることになった。
もちろん話は弾み、主に家庭の悩みなどを共有したり共感したりできたのだが、後半、さあいよいよ自分の好きについてちょっと話そうかとなったときに、「鬼滅の刃」、「呪術廻戦」、「東京リベンチャーズ」、「進撃の巨人」は全部制覇したと堂々と彼女は言う。「BTS」が大好きで、メンバーの名前が言えるのだと言う。

 マジか。

 ごめんなさいもう話にならないと思い、ここは笑っておけ。と言う気持ちになった。もちろん彼女にそのことがバレないようにリスペクトオーラを放ちたが、ああこんなときにマスクをしていてよかったと思う。私の唇はパクパクしていた。
「すごーい」と薄ーく反応する。
いやいや私もミーハーである。名前くらいは知ってる。

 長年私が好きなアーティストの一つに「米米クラブ」があります。
近頃は、「うたコン」にも出演され、その前は、「モニタリング」にまた変装して出演された石井竜也ことカールスモーキー石井。私は高校時代から好きで、小さな市民ホールでライブされていたときからハマってしまった。その世界観や、計算されたライブステージは当時の私の「アーティスト心」を大いに揺さぶってくれて、刺激を受けた。米米CLUBだけでは無く、そういう時代だったとも思う。
クラスメイトに宝塚のトップスターの缶バッチを付けている子もいたし、そのようなそれぞれの「好き」はあるのだろうが、肯定も否定もせずにいられたのは、私の「好き」が私なりに確立しているからだと思う。

 短大の頃にミニシアターに観に行くことに夢中になった時期があって、短大時代の友だちを誘って観に行った映画は、見終わった後、「スズメー!」と、怒られるくらいエグいもので(タイトルは言えません)その時から私は、映画は一人で観に行くものだと固く思ったが、うっかり元夫と結婚して初めの頃に「タイタニック」を観に行ったときに、「な、オレ、泣いてるやろ」と、私の手に涙を付けられた時は死ぬほどゾッとした。

 それくらい「好き」は、個人情報で守らなければならないものだと思う。
でも、「推し」ならどうだろう。堂々と言えるのだろうか。

 携帯ショップに相談しに行った時も、「いかにも」と見える店員さんと話が弾み、「そうです私オタクです。」と笑顔で言われたことも、受け入れた。

 「おかあさんは、何が好きなん!?」とややキレ気味に息子に言われて黙ってしまった。彼に山下達郎とかサザンオールスターズのどうのこうのって言うのは、なんだか違うと思う。ニュースでも上がっていたように上司とカラオケに行くときに練習しておいたら上司が喜ぶ曲プレイリストに私もそんなの当然でしょと思っていたのだが、若者にとってもう「知らないこと」は苦痛でしかないらしい。
息子に何が(今は)好きなん?とあらためて聞かれて、そう言うならいっぱい説明するけれど、興味ないやんね、あんた。と、米米クラブの「さわり」だけを話し出したところ、「もうええわ」と言われてしまった。ほら見たことか。笑

 80、90年代多感な歳を過ごしたときに聞いたり触れたりした作品は、この歳になってもしっかり残っている。これは息子の代でも普遍的なものだと思う。
好きなもの、ことは、ありあまるほどにある。今はインターネットの普及で何を選ぶか迷うくらい流れも早いので困る。

 息子が興味あるかな。と思ってレンタルした映画「佐々木インマイマイン」を観た。息子は相変わらずスマホを見ながら集中する様子がないことにイライラするが、そんなことにも慣れ、私は私の集中に集中した。高校生から大人になるまでの男の子の成長物語で、もちろんターゲットは、「若者」。でも大人になった私にも刺さる作品のエンドロールにまさかの私の条件反射で涙する曲が流れた。

 私は物事を「点」と捉えがちで、それが繋がってるということにイマイチ成功体験が積み重ならないが、ああ!こんなときに繋がっているんだ!と、シミジミしました。静かに私の推しである好きを追求したい。私もオタクなんだとも思う。



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