「本を読む人」ってのはマイノリティなんかねw:読書録「『若者の読書離れ』というウソ」
・「若者の読書離れ」というウソ 中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか
著者:飯田一史
出版:平凡社新書
題名通りの内容で、中高生の読書傾向について分析した作品。
「どのくらい」を統計的に解析し、
「どんな本」を傾向からジャンル分けして、具体的な作品を挙げながら説明してくれています。
個人的には「今の世の中がどうなってるのか、知識のアップデートは定期的にしとかなキャね」運動の一環ですw。
統計的分析の方は、
「まあ、そうなんだろうね」
が7割くらい。
「本を読む」ってことが、統計的には結構マイナーな趣味だとは感じてましたので。
ただジャンルの動きなんかは「へえ」ってところも多かったです。
一方で「どんな本」の方は知らないことも山ほど。
「ボカロ小説」とか、全然知りませんでした(と言うか、「ラノベ」括りにしてました)・
読書傾向の分析については作者が終章にまとめてくれています。
そのポイントを整理すると、
「子ども・若者の本離れ」は虚妄である。
小中学生は「朝読み」運動の影響もあって、読書量は過去最高になっている。
高校生は「2人に1人は本を読まない」という状況だが、そもそも高校生以上の日本人は、
「ふたりにひとりが本を読み、読書量は全体で平均すると月1〜2冊、時間は1日30分程度」。
この傾向は統計のある80年代以降(一部60年代・70年代)大きく変わっておらず、テレビ・ゲーム・スマホ等の影響はあまり感じられない。
(「雑誌」離れは急速に進んでいるのは統計的にも確かだが、「書籍」については変わっていない)
読書に関しては遺伝子的影響の方が大きいと考えられる。
まあ、そうじゃないかと思ってました。
「本を読む人」って、マイノリティなんだよね。
こう考えると、
「どんな本を読むのか」
なんてのも、全体像としては「月1、2冊読む本」についての話であって、社会や世代の傾向としてその「質」を論議することにどこまで意味があるのか…。
「読む人」を対象として、限定的なマーケットの議論だと言うことを大前提として話をするのならまだしもですが。
(「社会が劣化してる」とか「若者は頭を使わなくなってる」とか、<大きな物語>にしない…ってこと)
「どんな本を読んでいるか」の分析もなかなか面白いです。
「学校読書調査」で上がっている本を分析して、作者は<三大ニーズと四つの型>に整理しています。
<三大ニーズ>
1 正負両方の感情を揺さぶる
2 思春期の自意識、反抗心、本音に訴える
3 読む前から得られる感情がわかり、読みやすい
<四つの型>
①自意識+どんでん返し+真情爆発
②子どもが大人に勝つ
③デスゲーム、サバイバル、脱出ゲーム
④「余命もの(死亡確定ロマンス)」と「死者との再会・交流」
この視点から具体的に作品を分析してるんですが、その際に括り分けとして使っているジャンルが以下。
児童文庫/児童書、ライトノベル、ボカロ小説、一般文芸、短篇集、ノンフィクション、エッセイ
直近「中高生」の子どもがいるので、まあまあ作品に馴染みはありましたが、ライトノベルの現状とか(大人向けが出版されるようになって、中高生は読まなくなっている)、ボカロ小説の成り立ちとか、エッセイの傾向とか、興味深い話が多かったです、
まあ、さすがにここから「積読本」を選ぼうって気にはならないんですけど、前々から気になってたタイトル(西尾維新の「物語」シリーズとか)は整理できたところがあって、もしかしたらパラ読みとかするかも…です。
読書って、一部には「特権的」な扱いになっちゃうところがあるんですが(司書が選ぶ推薦図書みたいなところに垣間見える)、そう言うアプローチじゃなくて、もっと消費者(中高生)に寄り添った出版や推薦をするべきではないか…と言うのが作者の言いたいことでしょうか。
賛同できる面もあり、賛同できない面もあり…なんですが、「特権的」なのはイカンよな〜とは思ったりもします。
「読書」って、そんなもんじゃないと思ってるんですよ、僕は。
もちろんアスリートのトップを目指す人が、一般のスポーツ愛好者とは異なって別次元に行ってるように、ある種の「読書人」(読む側も書く側も)が次元の違うところに向かうってのはあるでしょうけどね。
ただまあ、「一般の中高生」や「社会人」にそれを求めるのはどうよ…って話です。
これもまた「大きな物語」を語ろうって話になっちゃうかなw。
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