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語り直される物語で語られること:読書録「街とその不確かな壁」

・街とその不確かな壁
著者:村上春樹
出版:新潮社

土曜日(4/15)から読み始めて、月曜の夜に読了。
一気…って感じじゃないですけど、650ページを超える作品にしてはトントンと読むことができましたかね。
個人的には結構好きです。
「1Q84」でグッと広がった感じがあった後に、「騎士団長殺し」で一歩元に戻った印象で「?」なところもあったんですが、「語り直し」という原点回帰的な取り組みながら、また一つ先を見せてくれた印象があります。
「同じことを語ってるだけやん」
ってのも、まあ言えなくはないんですけどw。


「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」のあとに書かれた「街と、その不確かな壁」という中編を書き直した…というのは既に公言されてる話。
その作品は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に組み込まれ直してもいます。
そこらへんの経緯は、本作の発売前にされたインタビューで結構詳しく話してくれてますね。


ただ読んでみると、その中編だけじゃなくて、今までの村上春樹作品のイメージが頻繁に登場し、語られ直す物語に組み込まれています。
100%の彼女と出会い、高い壁のある街に迷い込み、異世界にジャンプし、図書館に行き、死者が語り、少年と出会う
まあ、村上さんの作品って、どっかで他の作品に似たイメージが顔を出すところが結構あるんですがw、今回の作品の場合、相当意識的にやってますね。これは。
まさか「総集編」とかは思ってないでしょうけど。


と、同時に過去作で強く打ち出されていたのに、本作では印象が後退しているところも。
性愛(セックス)だったり、真に邪悪なものであったり。
それらは物語の伏流としてはあるんでしょうが、他の作品ほど表には出てきません。
その分、「喪失」と「再生」の物語が強く前に出てくる感じかな。
それらが<個人的なこと>であることも、本作では強く意識させられました。
切なくなるくらい。


とは言え、小説としては「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の方が好きかもw。

<『世界の終り〜』の時点ではまだそこに至ってなかった。技量が足りなかった。自分に書けないところはすっ飛ばしているんですよね。今回はすっ飛ばさないできちんと書き込めたという実感はありますし、それは僕個人にとっては、とても大事なことでした。

とはいえ、あの頃のすっ飛ばし方が、不完全さが好きだという人ももちろんいると思う。今回の小説でがっかりする人も、面白くないなと思う人もいるでしょう。>



この作品を読む前に、たまたま「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」をaudibleで聴いたので、「すっ飛ばした」ってのはなんとなく分かります。
僕もまあ、「あの頃のすっ飛ばし方が、不完全さが好き」なんですけど、「今回の小説でがっかり」はしなかったな。
村上さんが「もうある程度、自由に書けるようになった」と実感したという「海辺のカフカ」も「世界の終りと〜」のあとに聴いたんですが、そこには確かに「進歩」みたいなものがありましたからね。
なんだかんだ、ズッと「村上春樹作品」を読んでくると、ここに至ってこういう話が語られることは、それはそれで納得感があります。
いきなり最初にこの作品から入ったらどう思うか…ってのは僕には何とも言えないですけど。



ここら辺、

<ホルヘ・ルイス・ボルヘスが言ったように、一人の作家が一生のうちに真摯に語ることができる物語は、基本的に数が限られている。我々はその限られた数のモチーフを、手を変え品を変え、さまざまな形に書き換えていくだけなのだーと言ってしまっていいのかもしれない。
要するに、真実というのはひとつの定まった静止の中にではなく、不断の移行=移動する相の中にある。それが物語というものの神髄ではあるまいか。僕はそのように考えているのだが。>


って、「あとがき」で村上春樹さん自身がまとめちゃってますw。
まあ、そういうことかな。
そして早いころから村上さんの作品を読んできた者にとっては、しごくそのことに納得させられる作品を読まされた…ってこと。
語られるテーマ(と言っていいのかは分かんないけど)についてはもうちょっと時間をとって考えないと、自分でも整理しきれてないところがあります。
でも
「ああ、こういうタイミングで書かれるべき物語ではあったんだな」
ってことには妙な納得感がありました。


もうちょっと経ったら再読しようかな。
あ、audibleになる?w


#読書感想文
#街とその不確かな壁
#村上春樹



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