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今の私にデキルコト

3月2日に元勤め先の高校の卒業式行って来たのだけれど、ただでさえ新型コロナウイルスの対応に追われる、ドタバタの教育現場を手に取るように分かるのに、「はーい!サプライズ!」なーんて、自己中な行動は流石にできないと。

それでも黙ってたら「部活の教え子とすれ違い」っという最悪な状況も招きかねないと。

「卒業式のお見送りに行くよ」っとハッキリと宣言はせず、でもジワッと匂わせて、「式が終わったらここに来てね」っとメッセージを送らなければと。

なので、当日の朝にメッセージを送り、隣の公園でジッと我慢。


恐る恐るこちらを伺い「え?何で?」からの

想像以上の奇声!!!

、、、いや、黄色い声を頂き「有り難や〜有り難や〜」っと3時間くらい唱えないと割に合わないんじゃないか?と思うほど、驚き8割で喜んで頂けました。

それぞれの進路を聞きながら、そうか。そういう道を歩み始めるのか。っと思いつつも、なかなか揃って顔を見ることは難しくなるのか。っと少し寂しさも覚えつつも、

今の自分にできることは何か。

そんな事を考えるようになりました。


大人にまだなりきっていない子たちは、「視野を広げる事」をしない限りは、なかなか「この先(大人)」っというものを思い描きにくい。だから、近くの大人の姿を見て「大人になったら、こうなるんだ〜」っと、何となく思う。

私はそうだった。

昔に比べたら、こちら側が困るほど、生き方の選択肢は千差万別だ。だからこそ、卒業式をつい先日迎えた彼女たちに、今の自分ができることとしたら、

こんな生き方もあるんだよ。

っと、自分の生き様を見せることなのかもしれない。

それが彼女たちの視野を広げるかどうかは不確かだが、「不満や不平や文句ばかりを垂れ流している大人の姿」ではなく「何しているか詳しくは良くわかんないけど、楽しそうな大人の姿」の方が断然マシだろう。

なので、「今、楽しい?」っという質問をいつ受けようが、「うん、楽しいよ!」っと即答できる毎日を過ごすことを心がけよう。

#みんなの卒業式


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