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宮崎駿新作映画『君たちはどう生きるか』をどう宣伝するか?

 7月14日に公開される宮崎駿監督新作長編『君たちはどう生きるか』についてスタジオ・ジブリの鈴木敏夫プロデューサーがインタビューにこたえて宣伝の方針を明らかにしました。(動画は本記事一番下)

  ポスターが1種類のみ、予告編も一切制作せず、宣伝なしで公開するとのこと。通常の大作映画であれば国内の宣伝費だけで数億円、『風立ちぬ』(2013)以来10年ぶりの宮崎駿作品ですから宣伝費だけで十数億円あるいは20億円かけても不思議ではない作品です。

 それが宣伝ゼロです。宮崎駿+鈴木敏夫にしか出来ない大英断で、かつこの手は一回しか使えないと思われます。また、AI技術の成熟・ウクライナでのロシアの蛮行・気候変動によるカナダの巨大山火事やシベリア熱波など一度に起きていて、『君たちはどう生きるか』というタイトルそのものが、改めて大変重要なテーマとして人類につきつけられており、タイトルを何度も唱えていればこと宣伝はこと足りる、ということもあるでしょう。
 それにしてもなぜ十数億円強の宣伝活動をゼロにして大丈夫なのか? 日本市場と海外市場に分けて考えてみます。

日本公開


 宮崎駿の映画なら必ず劇場で観る、という観客が日本にはたくさんいます。
『風立ちぬ』(2013年)興収120億円
『崖の上のポニョ』(2008年)興収155億円
『ハウルの動く城』(2004年)興収196億円
 直近3作品でこんな感じなので、当時の物価と子供料金も考えて乱暴ですが客単価1000円と考えるとそれぞれ動員が1200万人、1550万人、1960万人。内輪に見積もって1000万人の市場です。 
 7月には各シネコンの鑑賞料金値上げが完了して映画観賞券の定価2000円となりますから、また大雑把に客単価1500円と考えて、1500円x1000万人なので、こけても興収150億円。

 上記はかなり乱暴な試算ですがとにかく見込み興収の下限がそもそも高いので、宣伝費ゼロでコスト徹底的に圧縮させたほうが、収益率がかなり向上するという計算になります。”インスタ映え”が流行語になったのが2017年、TikTokの世界デビューが2018年ですので、様々な年代・階層が様々なSNSを利用する世の中になったのは『風立ちぬ』の後ですが、口コミが最大のメディアになったわけで、宣伝しないことこそが最大の宣伝になると鈴木敏夫プロデューサーは考えたのでしょう。

 ”シェアしたくなるような情報をネット上に投入する”のがバズらせるための素朴な方法ですが、鈴木敏夫は情報を上流で堰き止めて氾濫させる作戦とることにしたわけです。なぜその情報をシェアしたくなるか、シェアしてあげたくなるか というと、
・その情報を他の人が知らないだろうと想定している
・その情報は他の人にも価値があると想像している
・その情報を提供してみて自分の想定・想像が正しいか確認したい
…などの組み合わせ。なので有用な情報をみんなが渇望するような状況を作れば、否応なく最大級にバズります。
 こういう前提で、宣伝ゼロ(&おそらくマスコミ試写会もしない)という作戦をとった。そうすると「宮崎駿の新作は面白いのか?」という有用な情報を劇場で映画を見た人達だけが独占でき、公開された瞬間に堰を切ったようにSNSで氾濫を起こします。(上映中に投稿するためのスマホを使って、顰蹙を買う輩が発生するかもしません)
 宮崎駿作品だからこその作戦ですが、映画の宣伝の枠を超えた社会現象的な何かが起こるか起こらないかというような発想です。

 また『君たちは~』の公開のすぐ翌週7/21には『ミッション・インポッシブル/デッド・レコニングPart1』の公開です。こちらも、観ておきたいと考える一般の観客が多い作品。『君たちは~』は公開初週に最大限にスクリーン数を確保して公開することになりますが、2週目以降はトム・クルーズにある程度スクリーンを譲ることになる。『君たち~』の方の情報をゼロにすると、公開初週に観たいという観客の熱量を最大化することができます。公開初週にとにかく多くの観客を呼び込む作戦としても宣伝ゼロは有効です。
 とはいえ、初週に見逃す人が大量に出るのは今から明らかです。二週目以降に何が起こるか? チケットの争奪戦は続くわけで、『君たち~』と『ミッション~』のどちらかを予約しようとしたけど売り切れで、消去法でもう一方をみる…というような相乗効果もでてきます。数字で把握できないかもしれませんが、ミッションインポッシブルを宣伝すればするほど『君たちは~』にも客が流れるので、宣伝費の効果でいうと宮崎駿がトム・クルーズの宣伝費を美味しく活用するということになりかねません。ただ初週の口コミ動向によっては、宣伝費ゼロにしたせいで二週目以降も観客が殺到する『君たちは~』のおこぼれを『ミッション~』がもらうことになるという展開もありそうです。
 
 この予想があながち的外れでないだろうと思われる状況証拠もあります。ポケモンの劇場用映画は夏休み映画として直近では20~30億円の興収をあげ続けていました。それがコロナで中断して2021年と2022年には製作なし。今年は復活が期待されましたが結局製作されませんでした。
 例年7月半ば学校の夏休み直前の週末に公開されていましたが、今年なら7月14日です。映画をより良い形で成功させるには、今年の夏休みは競争が厳しすぎると判断されて、今年も見送りになったのかもしれません。

海外市場

 宮崎駿の新作です、過去作品も北米ではディズニーが劇場公開しており、理想的にはディズニーなどのメジャースタジオと組んで全世界同時公開を仕込んで世界中できちんと宣伝して当てる方法が、望みうる最良の展開に思えます。ジブリ作品とはいえ製作費は高くて50億円前後と想像される情報もありますから、ミニオンズ・シリーズのイルミネーション作品よりもまだ安い。ですからメジャー公開で興収金額の最大化を狙って、ハリウッド作品に比べたら安い製作費を確実に回収するのが堅実な方法に思えます。

 ただ、その方法はとられなかった。大枠で地域ごとに見ていきます。

北米市場
 北米市場では、宮崎作品はアート系映画以上の成績を残していません。
『風立ちぬ』   興収520万ドル
『崖の上のポニョ』興収1570万ドル
『ハウルの動く城』興収680万ドル
…要は北米での興収は5億~20億円弱。ディズニーが配給してもこの数字です。
 新作で状況が劇的に変わるとは考えにくいですから、目先は米国の展開も地味になると思われます。G Kidsという良質なアニメーション作品を多数配給する小さな配給会社の扱いになっているようなので、当面はアカデミー賞エントリー資格獲得用の超限定公開のみかもしれません。
 実は、メジャースタジオが参加した瞬間に、メジャー流の”お前のものは俺のもの”体制でお金が抜かれるので権利元にとってベストかどうかは微妙です。事実上、コーポレートジェットの維持費まで混ぜ込まれて必要経費として間接費が控除されたりして権利元の取り分が減っていきます。 
 ですからまずは賞レースに参加できるようにだけしておいて、その後年明けの賞レースでの健闘状況をみて拡大公開の規模を決める方法かもしれません。
 特に今年は全米脚本家協会(WGA)が様々な待遇や収益配分の条件向上を求めて5月はじめからストライキにはいっています。その結果、シリーズ作品が中心ですが制作がストップしているタイトルが多数。また俳優の組合 SAG-AFTRAも製作者団体との交渉の帰趨によってはストライキに入るかもしれません。WGAストの終結は秋頃との見方もあり、年末から来年頭、ストの影響で劇場用映画の新作が減ったタイミングで大きめの公開という方法もあり得ます。ストの間隙を突くことができるかどうか、注目したいと思います。

中国市場
 公開に時間差ができると海賊行為も横行しますが、最近は劇場の客はへらないので日本市場でヒットしたところで展開する作戦になるでしょう。映画の内容によっては、はなから中国公開できないわけですが、公開出来たら儲けものです。というか…宮崎駿の新作なら、超大儲けものとなります。

欧州
 北米はディズニー公開でも欧州は地域によって配給会社が違うようです。過去作同様コツコツ地域ごとの頑張るしかないのですが、WGAストについては同様の状況です。

…てなことを考えた結果、宣伝ゼロでいいや となったのでしょうか?
映画そのものとともに、日本を含む全世界での展開を興味深く見守りたいと思います。

素晴らしい見本
 それにしても宣伝をしないと、どんな惹句にするか? どんな予告編をつくるか? どうそれを流すか? どんなタイアップを展開するか? アイディアを出す必要もないし、交渉する必要もないし、押し寄せるコラボ希望の案件を断っていく必要すらないし、出来上がってきたものを監修する必要もありません。
 その前の段階で世界展開をどうするか?のための出張も交渉もほぼ不要。プロデューサーとしては随分らくちんだと思います。下記の動画で鈴木敏夫が、”宮崎駿作品に自分の青春をささげたのに老年までささげるなんて”的なことをぼやいていますが、なんとも老獪な方法で解決してしまいました。 
 『君たちはどう生きるか』どころか、俺たちはどう老いるか、の見事な見本とともいえるこの宣伝ゼロ作戦自体、鑑賞に耐える一つの作品であると思います。