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鈴木 将吾(Nexil代表取締役)|自己紹介 後編

株式会社Nexil 代表取締役の鈴木将吾です。

今回は自己紹介の後編を書いていきたいと思います。
もし良ければ、前編とあわせて記事を読んでいただけると幸いです。

前編では社会人になるまでの経歴を中心に書きましたが、後編では社会人として働き始めてからどのように成長してきたのか、そしてどうして起業することに至ったのかをお話しできればと思います。

少し長くなりますが、お付き合いいただけると嬉しいです。


夢の外資系リーマン 1社目〜2社目

大学中退後、100社以上の就活見送りを受けて、一度は心が折れてしまった私ですが、結果が出るまで諦めなかったことが功を奏したのか、
韓国LGグループの国際物流子会社から内定をいただきました。

就職活動中の努力が報われた瞬間でした。

入社後は、LG製品のPCやモニターなどを海外生産拠点から国内納品先にデリバリーする国際ロジスティクス業務と法人営業に従事。

語学力もPCスキルもない中のスタートは本当に大変でしたが、グローバルな環境で優秀なメンバーと切磋琢磨するのはやりがいもありました。

入社当初は英語力不足で海外チームとうまくコミュニケーションが取れず、業務トラブルも多々ありました。怒られた回数は数え切れません。

そのため毎朝8時前には出社し英語の勉強に打ち込み、最終的にはTOEIC840点(ビジネスレベル)まで英語力を伸ばすことができました。

入社から2年間オペレーション業務と法人営業を経験した後、次の挑戦を志し退職しました。

2社目は、Twill Logisticsという海運業界世界最大手のマースク社が展開するデジタルプラットフォーム事業の立ち上げにJOINしました。

当時LinkedinというビジネスSNSツールをいち早く活用していたこともあり、海外本社からスカウトメールをもらいオファーをいただきました。

入社1ヶ月目からオランダのデンハーグにある本社に呼ばれ、2ヶ月間プロダクト研修と業務オペレーションを学びました。

オランダ デン・ハーグにある本社オフィス


日本人メンバーは私ひとりで他メンバーは海外支社からアサインされた優秀なメンバーでした。

当時22歳でしたが、本当に貴重な経験をさせてもらったと思います。

帰国後は日本支社の立ち上げに従事し、グループ会社のメンバーと打ち合わせを重ねながら、日本版のプロダクトのリリースをしました。

外資系SaaSプロダクトの日本拠点立ち上げというタスクは非常にエキサイティングで刺激と学びに溢れた日々でした。

ヤンキーインターンという衝撃

当時2社目のTwill Logistics社に勤務しており、オランダ本社の研修から帰国して日本拠点の立ち上げをしていた時期でした。

ネットでヤンキーインターンという『全国から中卒・高卒のヤンキーや不登校の子たちを集めて育成し、様々な企業に優秀な人材として社会に送り出している会社』を知りました。

『この仕事、おれがやらないで誰がやるんだ』

体全身に電流が走るような衝撃を受けた瞬間でした。

人生をかけて、この事業をやり抜きたい。

すぐにTwitterやFacebookを活用し、運営会社の役員にコンタクトをし、話を聞きに行きました。
実際に事業の話を聞けばきくほど魅力的で、すぐに現職を辞めて起業することを決意しました。

が、しかし起業の「き」の字もわからない。
「そもそも転職支援事業ってなんぞや、、、
売上?仕入れ?マーケティング?事業計画?」

燃え上がる熱意とは裏腹に、前に進みたいが前進できない状況が続いておりました。

非大卒向け転職エージェントとの出会い

転職支援事業で起業することは決めたものの、なにをすればいいのか分からずあたふたしている頃、前職の株式会社ZERO TALENTと出会いました。

「学歴関係なく誰もが活躍できる社会へ」という熱いメッセージに惹かれ、この会社で起業前最後の修行をしようと思いました。

当時は創業メンバー3人しかいない小さな組織で、ここでなら様々な経験が積めると思ったのが決め手でした。

そして私の人生ビジョンが固まったのは、この“会社”で働いたときです。

実際に働いてみて、求職者の方の中には「就職のチャンスがあれば絶対に活躍できる」と感じるような魅力的な方が沢山いました。

それまで様々な仕事で実績を残してきた自信がありましたが、はじめてのキャリアドバイザー職では、『求職者と信頼関係を築く難しさ』『個人売上を追い続ける大変さ』を実感しました。

創業期ベンチャー企業で様々な試練がありましたが、入社5ヶ月ほどで売上TOPになり、次のステージへ進むことを決めました。

「人材領域で自分の会社を起業し、人生を賭けて取り組んでいきたい」と決意しました。

はじめての起業、そしてコロナ禍

2020年1月7日に前身となる株式会社クロスキャリアを創業しました。

周りの知人や先輩に「23歳で起業します!」なんて豪語していたものの、様々な準備に時間がかかってしまい、24歳の誕生日(1月8日)の前日に会社を登記しました。なので23歳の最終日は今でも鮮明に思い出します。

当時本当にお金がなく、資本金30万円でのスタート。
勢いで起業したはいいものの、最初の数ヶ月は事業がなかなか上手くいかず、気持ちとは裏腹にしばらくは赤字続きでした。

当時売上0で生活に困窮し、恥ずかしながら両親から借金もしました。
すき家で牛丼にたまごをトッピングするかどうか本気で悩んでいた光景を今でも昨日のことのように思い出します。


創業時のオフィス兼自宅

はじめての売上が立った2020年4月、新型コロナウイルスの上陸とともに1回目の緊急事態宣言が発令しました。

ただでさえ厳しい経営状態だったのに、更に経済が悪化しました。

「もう倒産するかもしれない」
創業したばかりで最悪の経済状況、あまりの不遇さに心が折れかけた瞬間でした。

とはいえ、当時いた社員たちはこの状況をなんとか打破しようと前向きでした。この時はメンバーの皆に折れそうになるメンタルを助けられました。
『本当にありがとう』

⦅覚悟の瞬間⦆

金なし、コネなし、情報なしという経営に必要なものが1つもない中からのスタートは、本当に苦難の連続でしたが、「死ぬ気でやるしかない」と良い意味で覚悟を決めさせてくれる状況でもありました。

この時の「覚悟」が今でも自分の根本にあり、仕事のモチベーションやキツイ時の踏ん張りに繋がっていると思います。

どこのクライアント企業も採用を一斉にストップしたため、転職支援事業が継続が困難になりましたが、営業代行事業にピポットし売上を作り、倒産の危機を潜り抜けました。

コロナ禍で多くの業界が不況でしたが、toC向けの事業(電力、通信、インフラ系)は在宅ニーズに比例して、伸びていたのが幸いでした。

繰り返しますが「当時のメンバーたち本当にありがとう」

その後コロナ禍に苦しみながらも営業代行事業を着実に成長させ、社員数10名まで成長しました。目の前の仕事に徹底に向き合い、継続していくことの重要性をこの時学びました。

株式会社Nexil 創業

新型コロナウイルスに影響を受け続ける経済状況でしが、新たな挑戦を志し、株式会社Nexilを創業しました。

事前にテストマーケティングをしていた
「住宅領域のWebマーケティング事業」が軌道に乗り始め、一気にアクセルを踏みました。

当時の画像を遡ってみたら
Nexil創業時はまだ自分自身の家もなく、当時のオフィスに住んでいたようです。(起業してから一年くらいは家なき子でした)

周りから「社長社長」と持ち上げられ強がるものの、実態は全然儲かっておらず、築65年のボロマンションに自宅兼事務所として住んでいました。

その後、事業としては住宅領域のWebマーケティング事業が爆伸びして、一気に売上が2倍、3倍ととんとん拍子に増えていきました。

創業1期目でしたが滝川クリステルさんを広告塔に使い、一気にWebマーケティングを加速しました。

当時はSEOもGoogle検索一位で、web集客数もトップクラスでした。

しばらくは売上が伸び続けていましたが、業界内の法規制や競合の参入により、徐々に売上は右肩下がりになっていきました。

『実力以上の結果は、時に過信という脅威を与える』

これが売上が落ち込んでいった時の1番の学びでした。
調子の良い時こそ、自分の実力を俯瞰して認識することが大切だと気付きました。

《人材事業への原点回帰》

事業継続が厳しくなったタイミングで本来の起業目的だった『人材紹介事業』にピポットしました。

当初は社内に私しか人材事業を理解している人がいなかったので、私が0から事業の立ち上げに携わりました。

売上が立ってきたタイミングで他メンバーにも参画してもらい、事業スキームを共有し事業を引き継ぎしていきました。

HR事業(転職支援事業)について

わたしたちがサポートしている若者はデジタルネイティブ世代と言われる、現在18歳〜35歳程度の求職者が主軸です。中でも非大卒者やキャリアの浅いポテンシャル層に重点をおいて事業展開しております。

現代の日本には、ポテンシャルはあるのにもかかわらず 個々の力を活かせる場所を持っていない方々が多く存在します。
そんな方々に「人生の可能性」「挑戦するキッカケ」を与えたい。

それが私の創業の原点であり、変わらない想いです。

なぜなら代表の私自身も高校中退の過去があり、はじめての就活で100社以上不採用になり心身ともに挫折しまった過去があるからです。

だからこそ過去の自分と同じような境遇の人に手を差し伸べたい。

Nexilの経営理念は
『次世代の可能性を切り拓く』と定義しています。

この言葉には「次世代を担う若者たちのキャリアを広げ、彼らの可能性を切り拓いていく」という意味が込められています。
そして「若者たちの可能性を切り拓くことによって、日本の未来(次世代)を少しでもより良くしていきたい」という意味も込めています。

創業して3年。
確実に会社も事業も成長しています。
そしてメンバーの皆も驚くようなスピードで成長しています。

大きなビジョン実現のために、Nexilは今後さらに挑戦を続けていきます。
可能性』を伝えていく存在であり続けるために。

⦅今後の展開⦆

これからは
HR事業(転職支援事業)の拡大と同時に
IT/DX事業(システムエンジニア事業)の立ち上げに挑戦していきます。

今まではポテンシャルに満ち溢れた若者に対して
「職の提供」をしてきましたが、次の挑戦は「スキルの提供」です。

その挑戦を実現するために立ち上げたのが、最短3ヶ月でプロになれるプログラミングスクール『Nexter』です。未経験の方がITエンジニアを目指すために必要なスキルや実践経験を積むことができるスクールです。

その結果、日本の若者たちがより幅広いキャリアの選択肢を掴み、より理想のキャリアに一歩近づくことができる。

それがNexilの存在意義です。


最後に

ここまで長い文章を読んでいただきありがとうございました。

夢の社会人デビューから現在までの軌跡を振り返っていると、いろんな感情や記憶がフラッシュバックし、文章を書く手が止まりませんでした。

前編から読んでいただいた皆さんおわかりかと思いますが、社会人デビューするまでの私は正直いって底辺人間でした。
(人生で中退3回ですよ?アウトローすぎます!笑)

そんな私でも社会に出てから必死に挑戦することで、多くの方から「鈴木さんのおかげで新しい挑戦ができました」と嬉しい声をいただけるようになっています。

この文章を読んでいる方の中には、今の自分の状況に満足できていない方もいるかもしれません。

そんな方には「人生ここからだよ!底辺人間でも変わることができたよ!」と伝えたい。

『人の可能性は無限大だよ』って胸を張って伝えたい。

本当にどん底から這い上がってきたからわかる。
人生頑張ったもの勝ちなんだって本気で思ってます。

23歳の時、創業を志した理由「人の可能性を最大化する」
理想の目標に対して、まだまだスタートラインに立ったばかりです。

これからもビジョン実現に向けて全力で取り組み、一人でも多くの若者が「人生の可能性に気づいてもらうべく」日々挑戦を続けていきます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

株式会社Nexil
代表取締役 鈴木将吾

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