初任教師が教職の魅力と働き方について考えた
こんにちは。初めまして。今年の春に大学を卒業し、小学校教師として働いています。
この記事は
「教師という仕事を目指している・気になっている」
「今の働き方に疑問を持っている・働き方改革に興味がある」
という方に向けて役立つ内容となっています。参考にしていただけたら幸いです。
小学校教師になりたいと思った理由
きっかけは小学校のときの卒業アルバムに書かれたとある先生からのメッセージでした。
「今の自分が好きですか?好きって堂々といえる人生を送ってください」
という先生からのメッセージにとても励まされました。当時は部活、勉強、人間関係と辛いことが重なり、すっかり自信をなくしていました。この言葉のおかげで私は「やりたいことをやって自分を好きになろう」と決意することができ、自信を取り戻そうとする原動力になりました。そのときに「小学校の先生になりたい」と思うようになりました。
教師のやりがいと働き方
大学生のときに気づいた一番の学び
大学の四年間で、教育についての学び、自己分析から見える自分という人間のあり方、生活に潤いを与える趣味との出会いなど、様々な学びと経験を重ね、人間的にも一歩成長できたように感じます。
その中で特に印象に残ったことがあります。それは、
「学ぶことは楽しいことだ」
と気づいたことです。
学びとは決して学校の勉強だけではありません。例えば、人との関わりから自分はどのように振る舞うべきか考えることも「学び」であり、自分の好きなことを知ったり楽しんだりすることも「学び」です。もちろんゲーム対戦で相手に勝つために練習を重ねることだって「学び」です。
自分が生きていく中で出会うことや人などすべてが「学び」であり、その「学び」が自己を成長させ、人生をより良いものにしていくことができると大学の四年間で「学び」ました。
教師の魅力
教師の魅力は、子どもの成長をすぐ近くで見届けられることだと感じます。教師という存在は子どもにとって家族の次に身近な大人であり、良くも悪くも子どもに影響を与える存在です。
子どもの様々な「学び」をどのように提供していくのかを考えることは、「学びの意義」を知った私にとって大きなやりがいに感じます。
できなかったことができるようになる姿は、教師にとって本当に嬉しく思うことです。
「子どものため」という呪縛
しかし、時に「子どものため」という言葉が教師を苦しめます。
子どもたちが意欲的になれるような楽しい授業を作ろう、休み時間は必ず子どもたちと関わる時間にしよう、学級経営で役に立ちそうな本をたくさん読もう…。
これらは一見素敵なことに見えますが、教師の負担になることもしばしばあります。
教師の仕事は無限に作り出すことができます。終わりがないからこそ、やりがいや楽しさがあるのですが、同時に心身の疲弊に繋がります。
文部科学省は働き方改革の目的を「教師のこれまでの、自らの授業を磨くとともに日々の生活の質や教職人生を豊かにする」としています。
「子どものため」と頑張りすぎて心身を壊してしまえば、笑顔で過ごせず授業準備も疎かになり、結果として「子どものため」の教育ができなくなると感じています。
子どものために様々な工夫や実践をするためにも、まずは教師が心身ともに健康でなくてはならないのです。
私が「本当に」やりたいこと
教師生活が始まって一か月と少しが経ちました。私が感じることは、やはり「日々の業務量が多すぎて疲れてしまう」ということです。
ひとりで何十人の子どもを見て(私は特別支援学級担任で見ている子どもの数は少ないですが…。)、毎日授業をして、放課後には会議や保護者対応、事務作業が待っています。授業を考える時間はなく、家に持ち帰って考えることも多いです。
まだ何もかも初めてで効率よく働くことができないことも原因だと思うのですが、それでもやはり私は教職の魅力以上に業務量の多さが負担に感じます。
このままでは私は好きなことや自由な時間を十分に確保できないまま年を取ってしまう…。それだけは嫌だ、と強く思っています。
私はただ「好きなことややりたいことをして過ごしたい」だけなのです。それが教師という仕事では叶えることが難しいのです。
きっと、フリーランスや個人事業主のような、働く時間や場所にとらわれない自由な生き方がしたいのだと思います。
お金と自由な時間を天秤にかけても、私は「時間」をとります。例えお金があっても自由な時間がなければ、結局浪費するばかりで何もできなくなってしまうと思うからです。
仕事のあり方=生き方
これを読んでくださっているみなさんは、今どんなお仕事をされていますか?その仕事に満足されていますか?
きっとおそらく多くの方が「yes」と自信もって答えられないのではないでしょうか…。自分が心から満足のいく仕事や働き方ができている人は、この日本ではまだまだ少ないように感じます。
私は仕事を「お金を稼ぐだけの手段」にしたくありません。一生の中で人はどれくらいの時間を仕事に捧げるのでしょうか。一日の大半を満足に思っていない仕事に捧げるのは、満足のいかない人生を送っていることと同じだと思います。
それでも「仕事をしないと生活できないし…。」と諦めている大人が多すぎることに私は驚いています。
海外では仕事よりもプライベートを充実させることに価値を置いている国が多いです。
キリスト教の考え方は「仕事=贖罪」です。大昔のキリスト教の人は自分の罪を償うために、労働という手段を使っていました。これは「労働=美徳」としている日本とは大きく考え方が違っています。(ひろゆきさんの本に書いてあった)
「じゃあ、どうしたら満足のいく仕事ができるのか」「どんな働き方が自分に合っているのか」と考えることをは、「生き方」を考えることになると思っています。
もちろん会社員や公務員は給料も安定していて良いところもたくさんあるのですが…。自分の時間を切り売りしてお金を稼ぐだけでは、私は満足のいく生活が送れないな、と感じています。それなら、そのためにどうすればいいのか一生懸命考えて行動に移していきたいです。この記事の投稿も一つ行動に起こせた結果だと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございました。みなさんが自分なりの働く意味や満足のいく生活が送れるように心から祈っています。
おまけ:私の趣味紹介
①一眼レフで写真を撮る
②バイクでツーリング&旅をする
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