夜のスーパーマーケットで人々は。
玉子を買った。
それから隣の野菜のコーナーへ行って、
サラダにするレタスと水菜とひよこ豆も
かごに入れた。
普段は食べない海外のチョコレートも、
缶の可愛さに惹かれて思わず買ってしまった。
仕事帰りの夜遅くのスーパーマーケットで、
明日からの暮らしで当座必要な食材をいくつかと、
必要でもないけれど
ほしいなと思ったものを買ったのだった。
夜は何だか疲れて頭が回らない。
ついつい余計なものまで買っている私は何。
そしてお財布からお金を出して払った。
(今日はPayPayじゃない気分だった)
ふと気づけば
私が身につけているシャツも鞄も買った物だ。
家に帰れば
スリッパも洗面所のタオルも、
テーブルだって冷蔵庫だって
家そのものだって、
働いたお金を貯めて買った物だった。
部屋を構成するものみんな、
お金を出して買ったのだよな。
私はそのことが突然に
ありがたいような怖いような
気持ちになった。
なぜだろう?
なぜだろうね。
誰かが使いやすい形を考えて作ってくれたり、
育てて獲ってくれたり、
ありがたいことだ。
世界は誰かの仕事でできている。
というコピーがあったけれど、
本当にその通りだ。
今夜のスーパーマーケットで、
それを生々しく感じたのだった。
以前、
スーパーマーケットのエッセイを
書いた時にも思ったのだけれど、
スーパーで食べるものを物色している人たちは、
どこか正直に見える。
誰も嘘をつくために
スーパーマーケットを訪れたりはしないのだ。
何にしようかな
これ食べたいな
新商品が出てる
ちょっと高いな
思惑が体全体から滲み出していることに、
皆、気づいていないらしい。
私は人々の無防備な様子を見るともなく見た後、
どことなく安心しながら家路につくのだった。
みんなが自分の顔をとりもどしている夜。
私もその中の一員として、
少しかさばるマイバッグをさげ
歩いて家に帰る。
私が買ったものたちを私の台所に迎え入れ、
明日の朝
寝ぼけまなこでも迷わないように、
カットしてタッパーウェアに詰めて
スタンバイさせておく。
そうしてやっと眠りにつく。
誰かが作り、運び、並べてくれたもので
私の暮らしは成り立っている。
明日の朝食は
ゆで玉子と水菜のサラダと
もらったさくらんぼ。
ライ麦のパンを齧りながらコーヒーを飲めば、
なんとかなる。
そういうものさ。
食べるものや好きな服で
一日の活力を身につける朝の雄々しさを、
少しでもスムーズにこなせるよう
頭の中で軽くまとめながら目を閉じる。
とりとめもないけれど、
今日も、お疲れ様でした。
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