ビタースイート、そしてビター。
青い時代だった。
なんだってどうにかなるさ、と思っていた。
あれとこれを足せばこうなるのでしょう、と
単純に考えていた。
まだ青さ全開だった十代の冬の出来事を
ここに綴ろうと思う。
♢
時は2月。
2月の大イベントといえば、
バレンタインデーだろう。
まわりの友人達も
『チョコレートどうするか問題』で
ソワソワと落ち着かない日々を送っているのが
一目瞭然だった。
自分へのご褒美チョコ全盛の今とは
だいぶ違う。
あの頃はみんな
誰かに渡すチョコレートのことを
本気で考えていたのだ。
普段はお菓子作りなど滅多にしなかった私も
時代の茶色い波に呑まれ、
その時の恋人のために、
手作りチョコレートを贈ろう!
と思いついたのだった。
何を作ろうか。
失敗のない簡単なもので、
なおかつ豪華に見えるものはないかな。
お菓子作り本や
雑誌に載っていたチョコレシピ特集を
あれこれついばむように見た。
その過程も楽しいものだった。
お菓子作りのカリスマと呼ばれる女性たちの
キッチンの写真を見ていると、
憧れが激しく募り、
同じような道具を揃えれば自分もそうなれるのではないかと錯覚してしまうのであった。
ぴかぴかの透明ガラスボール。
銀色に光る泡立て器。
滑らかなゴムべら。
スミレの花のエプロン。
整った作業台は
信じられないほど物が少ない。
窓からの明るい陽光が手元を照らすことさえ、
煌びやかな演出のひとつに思えた。
洗練された手つきで混ぜる
チョコレートの艶やかさに私は息を呑んだ。
型に入れて焼き上がったそれは、
愛を育むための大地のようだった。
仕上げに純白の粉砂糖の雪を降らせれば、
完璧。
恋人じゃなくたって、
誰もがこの上品な佇まいのお菓子の虜に
なることだろう。
ああ私もこんなお菓子が作りたい。
美味しいねえ、上手じゃん!
と言いながら頬張る恋人の顔を想像した。
私はこっくりと濃厚な
ガトーショコラを作る決心をした。
材料は案外とシンプルで、
難なく集めることができた。
細やかな温度管理は必要だったが
家には料理用の温度計があったので
できなくはないだろうと思った。
あとはレシピ通りに材料を計り、
チョコレートとバターを湯煎にかけて溶かし、
卵黄と砂糖をもったりするまで泡立て、
薄力粉とココアパウダーをふるい、
メレンゲのツノを立て、
それらすべてをさっくりと混ぜ、
型に入れて焼けばいい。
難しくない。大丈夫。
何もかもが順調だった。
もしかして私はお菓子作りが得意なのでは?
と思ったりもした。
(後になってそれは勘違いだと気づいた。
デリケートな計量や温度が大切なお菓子作りは、
目分量上等!の私には向いていないらしい)
焼き上がりを待っていると、
次第にオーブンから
香ばしくも甘い良い香りがしてきた。
胸が躍った。
どれほどうまくできたのか、
あわよくば味見でもしてみようかという思いが
頭の中をよぎった。
オーブンがカモン!と鳴って私を呼んだ。
いよいよ出来上がりだ。
オーブンをオープン!
熱々のハートのガトーショコラが、
清楚な女の子のようにしずしずと出てきた。
いい色だ。
パリッとして少しひび割れた表面も
ヨダレごころを誘っていた。
あとは網の上に乗せて冷ますだけだ。
型から取り出す際に、
私のガトーショコラは
網の上に自分からさっと躍り出た。
手のかからない優等生である。
優等生で清楚な私のガトーショコラ。
だがしかし。
その時私は奇妙な音を耳にしたのだった。
カーン!
なんの音だろうか。
金属型が網に当たった音に違いない。
そう思った。
網の上に乗った焼き立てホヤホヤの
ガトーショコラを見つめる。
まさかと思うが念のため、
私は出来上がったばかりのそのお菓子を
慎重に持ち上げてみた。
ずしんと手に響くほどに重い。
そして硬い。
網の上で小さく手を離した。
ガトーショコラが網と触れ合うと、
カーン!と硬質な音がキッチンにこだました。
私の愛しいガトーショコラは
オーブンのブラックホールで圧縮されたのか、
茶色い金属へと変貌していたのだった。
「これ、チョコレートケーキだよね?」
何事かと集まってきた家族も、
地球外から飛んできた隕石でも見るような目つきで、ガトーショコラをじっと観察した。
見た目は均整のとれた美しいハートだった。
麗しい姿をしていた。
見かけは清楚なのに
中身はとんでもない食わせ者だった、
ということなのだろうか。
完璧なまでの失敗作品であった。
どこで何を間違えたのだろう。
分量か、温度設定か、焼き時間か、それとも。
作り直したくても、もう時間も材料もなかった。
バレンタインは手作りお菓子は無し、だなんて
耐えられないと思った。
私は半べそをかきながらも
どうせ処分するならその前にひとくち、と、
ハートのとんがりの部分を
少し齧ってみることにした。
硬かった。
草加せんべいでもここまで硬くはないだろう
という強靭さだった。
ビーバーでなければ食べられないと思った。
「だってほとんど金属片だもの。
そりゃあ食べられないでしょ」
家族の辛辣な言葉にうなだれる私。
「まさかこれを
彼氏にプレゼントするんじゃないでしょうね?」
「いけませんかね?」
「えっ......」
とにかく見た目は美しかった。
ガトーショコラとして(と仮定して)
これ以上ないくらい完璧な存在だった。
美味しくはないかもしれないけれど、
とにかくこの美しいかたちを
恋人に見てほしかった。
絶句する家族を尻目に
私はいそいそとラッピングし始めたのだった。
おお、神よ。
恋人の歯を守り給え。
バレンタインデーの午後。
待ち合わせ場所に現れた恋人は、
いつも通り満面の笑顔で私を迎えてくれた。
少しばかり胸がちくりと痛んだ。
私はガトーショコラを手作りしたことを
恋人に告げた。
「ちょっとね、うまく出来なかったの」
(本当は『ちょっと』どころではない)
「〇〇ちゃんの作ったチョコなら、
オレはどんなんだって食べたいんだよっ!」
そうだ私は彼のこの優しさにやられたのだ。
見た目は綺麗なのよ、と言い訳しつつ
私はおずおずと
ガトーショコラの包みを差し出した。
「うわあ、美味しそうだねえ。
これ初めて作ったの?君は天才とちがう?」
恋人の最大限の賛辞を受けているうちに、
私の中に潜む申し訳なさが
ムクムクと膨らんでいった。
そしてついには弾けて割れた。
こんなに喜んでくれる人に、
金属片チョコを食べさせてしまう私は鬼?
いたたまれなくなった私は
「やっぱり今日は見せるだけにするよ。
見た目はきれいでしょう。
でも実はものすごく硬くて、
食べ物じゃないみたい。
また今度、食べられるものを作れるように
挑戦するね」
彼はガトーショコラに顔を近づけて香りを嗅ぎ、
んーいい匂いと目を細めた。
そしておもむろに箱から取り出し手に取った。
これはいけない。
この人は食べる気満々だ。
歯が折れてしまうよ。
すかさず私はガトーショコラをノックした。
コンコン。
「ね?
コンクリートブロックみたいな音がするでしょ」
その時、恋人は見つけてしまった。
「ああ!ここのところ、齧ったでしょう!」
そうだった。
これはもう贈ることはできないと諦めた私は、
味見のために少し齧ったのだったな。
「俺も食べたい!」
「やめた方がいいよ。
本当にものすごく硬いんだよ」
「俺の歯をみくびってもらっちゃ困るな。
獅子舞の歯より丈夫なんだぞ、
虫歯だって1本も無いんだから」
カチカチのガトーショコラ入りの箱を
がっつりつかみ合いながら押し問答を繰り返し、
結局私はそれを持ち帰ることにした。
「なんだよ、見せるだけ見せて持って帰るとか、
そんなことある?」
恋人は、信じらんない!と叫んだあとで
「でもそういうとこ、好きなんだけどサ」
とぽそりと言ってくれた。
それから少しさみしそうに笑った。
あのデートは
可笑しくて優しくて幸せな時間だったのだと、
ああなぜその時には気づかなかったのだろう。
その夜、私は
自分が焼いた不甲斐ないガトーショコラを
ぎこぎこと切り分け、我慢して口に放り込んだ。
カリコリと齧りながら
(ガトーショコラにあるまじき音)
夜空をぼんやりと眺め、
恋人のことを考えていた。
♢
ずっと後になって、
なんの脈絡もない瞬間に
「あの時の言葉やおこないは、
そういうことだったのか!」
と、突然わかる時がある。
記憶の中に埋もれていた出来事から
何年も経っていて、
日常では思い出しもしないのに。
駅で電車待ちをしている
手持ち無沙汰な隙間の時間に、
不意に啓示のような気づきが降ってきたりする。
その時には知り得なかった人の優しさと
自分の至らなさが同時に胸に広がって、
頭を抱えてしまいたくなるのだ。
あの時の恋人は、
バレンタインデーに
チョコレートを渡されなかったことを、
本当は悲しんでいたのだろうか。
嘘でもいいから、
あなたのために美味しく作ったから
食べてほしいと
渡せばよかったのだろうか。
鉄のようなチョコレートの塊は、
無邪気に恋人を傷つけた。
いや、彼を傷つけたのは
ガトーショコラじゃなくて、
私だ。
結局、ガトーショコラリベンジの機会は
訪れなかった。
私たちはその後しばらくして、
別々の人生を歩むことになったのだった。
あんなに好きだと想っていた気持ちは、
どこへいってしまうのだろう。
愛情の濃さと温度、
それを分け合う人との分量や配合、
想いを焼いてゆく時間とタイミング。
ほんの少し間違うことで
予想もつかないものができあがり、
なぜこうなってしまったのだろうと考える。
それでもこういうのもいいね、と
思えるようになるのは、
甘さと苦さの両方を知った後のことなのだろう。
あの時の恐ろしく硬いガトーショコラは
たしかに失敗作だったけれど、
心の奥深さを教えてくれていたのだと、
今だからこそ思えるのだ。
文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。