【真実】マジな話、友達100人は要らないと思う
「えっ! エモいってもう誰も言ってないの!?」
世の常識というのは、意外と常識でなかったりします。
恐ろしいことに、これまで絶対そうだと思ってきたことが、ある時を境にそうではない事になっていたり。
私の場合それは、小学校1年生の時にさんざん歌った、富士山のてっぺんでおにぎりを食べる歌になります。
友達100人
1年生になったら友達100人出来るかな?と思案し、出来たらその100人でおにぎりを食べたいと歌っています。
友達は大事だね。たくさん作ろうね。というメッセージが込められた歌だと思うのですが・・・100人は多い!!
友達を大切にするのはとても良い事。でも、これが転じて、誰とでも仲良くしましょう。というメッセージに変換された瞬間、その歌詞は意味を大きく間違って伝わってしまった。
私たちは人間、
みんな違って、みんないい人間、
ナンバーワンにならなくてもオンリーワンでいい人間、
そりゃ気が合わない人だっていますよ。それは大人だって子供だって同じ。
なのになぜか私たちは、みんなと仲良くしましょう。と教えられてきました。
無理に合わせなくていい
人に対して合わせることを「みんな仲良く」というのなら、その常識は間違いだったな、と今では強く思います。
僕は小学生のころどうしても気が合わない友達がいて、けんかをしてしまって先生に怒られた。
先生は僕たちに飛び馬とか柔軟体操とかの共同作業をするように命じて、僕たちは延々とそれをする羽目になった。先生はそれで満足したかもしれないが、僕たちは本当に不毛な時間を過ごした。合わないもんは合わないのだ。
小さい子たちがもし、友達100人作らなきゃ。と思っているなら、2人でも3人でもいいから、本当に大事な人とだけ富士山でおにぎりを食べな。と言いたい。
ダイバーシティを、男女のことだと思っている
ここのところ、ダイバーシティという言葉が色々なところで聞かれるようになったけど、多くの場合それが男女差のことを指してしまっている。
無理もないかな、とも思う。日本は島国で、無宗教な人が多い。そもそも多民族国家ではないから、ピンとこないのだ。
でも、
多民族でなくても、そもそも人は一人ひとり全員違う。ダイバーシティとは男女差でもなく、「みんな仲良く」でもなく、違うことを尊重しよう。であるはずだ。
意見は言うが、否定はしない。多きに流れないし、個性を否定することもしない。だから当然、他人にも否定される筋合いはない。
これがダイバーシティで、僕が100人とおにぎりを食べたくない理由だ。
仕事と調和
職場は、集団生活のひとつの形。
みんなが協力し合って、成果が出る。でも、ストレスを抱えるぐらい無理して集団に属するのは、もはや美学ではないし、常識でもありません。
どんな批判を受けようと、気があう人とだけ仕事をする。というのは一つの正解なのかもしれません。
m-floのバーバラさんがアナザースカイで言ってました。
僕は時々このキャプチャを見ながら今の自分を振り返ります。
僕は無理して目線を合わせていないかな。
それでいて、
僕は相手の目線をしっかりと尊重しているかな。
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