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【迫真エッセイ】転職と苦悩の話②

理系という舗装された道を歩いていたおかげで「社会人デビュー」を果たした僕。キーワードは虚勢と前進。とても浅はかな思惑だったが結果としてこれが功を奏した。

しかし、

そんな甘い話は無い。すぐさま第一の壁にぶつかる。それは他でもない。疲れ切った顔で「鈴木くん、いいね。」と誰よりも積極的に僕を評価した禿頭のオジサンだった。


■激務

全ては後に気付いたことだった。

それなりに仕事が出来るようになると僕の内線は良く鳴った。モバイルだったため職場のどこにいても良く鳴った。色んな部署の色んなオジサンたちから良くかかって来た。

錯覚していた。職場でたくさん電話がかかってくるやつはイケてるやつだと思っていた。電話の向こうのオジサンたちは丁寧だった。とても丁寧に色々指導してくれた。そして最後に必ずこう言うのだった。

「てことで、後はよろしく」


全ては後に気付いたことだった。ある程度成長してから回顧するとそのほとんどが「あれはオレの仕事か?」と思われるものばかりだった。

誤解を恐れず言うと簡単な詐欺に掛かっていた。いい感じにバカだった。しかし、奇麗な言葉で言えばピュアだった。ここでも”若いうちの苦労は買ってでもしろ”を素で実践していた。業務を把握する回転数はどの同期よりも早かった。

しかし、

その分 激務だった。時効なので言うが残業時間は当たり前のように100hを超えていた。


■下積み

仕事を終えて部屋に入ると着の身着のままベッドに横になった。少しだけ目を閉じて、風呂に入ろうと起き上がった。驚いた。窓の外はもう明るくなっていた。

寝ていたようだ。そのまま朝になったらしい。しかし自分の感覚では1分間だけ目を閉じただけだ。まったく気が休まっていない。しかし仕事が待っている。慌ててシャワーを浴びる。そして再び会社に向かう。そんな日が続いた。

昼食を取ると眠くなるので缶コーヒーを一本だけ飲んで仮眠を取った。忙しいのは自分だけでは無かった。中には枕を社内に常備しているヤバいやつもいた。

定時は10時(22時)、と言われていた。22時を過ぎてからが本当の残業だった。「昭和かよ!」と言われてしまいそうだがそんなことは無い。勤怠管理が入退記録とデジタルで連動するようになったのはつい最近のことだ。
勤怠管理システムはあってもそれは自己申告の手入力で成り立っていた。毎日が大サービス。大サービス残業だった。


武勇伝を語っているのではない。令和の若手を甘いと言うのでもない。ただ一つ言えることは、いい感じにアホだった。毎日夜中まで働いていると時間の流れがとにかく早い。給料が入って、2週間後にボーナスが入った。その2週間後に翌月の給料が入った。

「給料 ペース早すぎ(汗)」

冗談抜きで、同期達とそう言い合っていた。金がどんどん貯まっていった。奇しくも入社時に期待していた「忙しくてもいいからお金が欲しい」は達成されていた。


まだ若かった。過労でも金というモチベーションで乗り越えられた。そして、今考えてもちょっと凄いなと自画自賛してしまうのだが、その金欲以上に自分を動かしたのが知識欲求だった。

恐ろしいことに、ここから僕は更にギアを上げる。




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続く。
転職の話はまだ出てこないけど・・・続く。


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