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#209 日本の職場に、栗山監督は生まれるか?

信じる。

これほどまでに、言うは易し行うは難し的な言葉は無いかもしれない。

人を信じて託すことは、相当な勇気と忍耐がいります。特に成功体験の多い人にはなかなか実行しにくい難題と化すんですけど、
得てして上司とはその成功体験を積んできた人だったりするわけで。

それ故、

WBCやカタールワールドカップで実績を残した栗山監督、森保監督を評価する人は多いですね。

そしてそれは、現代型上司の理想像とも言えるサーバントタイプ。つまり部下を引っ張るのではなく、支えて結果を出す新しい上司のカタチとして讃えられます。

しかし。

私は知っています。
日本の職場に、栗山監督は生まれないのだ。



■なぜ生まれないのか

私たちはひとつ大きなポイントを見逃しているのではないかと。

それは、
栗山監督も森保監督も代表監督であるという事。
つまり彼らは勝つための必要人員を選んで構成することが出来る、上司としてはかなり稀な立ち位置なのだ。


考えてみていただきたい。
会社の上司で、必要人員を自由に選べる人なんて果たしているだろうか。大体がそこに集められた一群であり、決して上司同士が大人の花いちもんめをして選んだものではない。

プロジェクトリーダーだってそう。
必要人員は超明確なのに、それに見合った人材でチームを固め、キックオフできたためしがない。


つまり部下を信じるとは、

全て自らの意思で選んだ部下たちだから栗山監督のように信念もって待てることなのであって、
実力も得意分野も性格も家庭事情もみんな違う人が集まった組織において、「信じる」と結果を待ったところでそれは恐らく実を結ばないことがほとんどではないだろうか。

もちろん信じて託すことで成長する部下を見ることもあると思う。
しかしながら、一般社会の組織は必要な人材を選んで構成されたものではないことがほとんどで、「信じる」という行為だけでは上手くいかないのが当たり前なのだ。



■だから会社は・・・

そんなこと言ったらサーバントな上司なんで絶対無理じゃん!!という話になるけれど、
日本社会はそれを決してあきらめていないとも言える。

いやむしろそっちの方向に向かっている。

自らが選考条件を定め、それに見合った人材を選出する。あとはその部下たちが本来の力を発揮できるように語りかけ、見守る。
つまり人材の能力を最大限に発揮することを優先的に考え、実践することで自らの目標も達成する。

こうして文字に起こすと気付くことがあります。

そう。これって、今日(こんにち)の日経新聞などが毎日のように書きたてる、ジョブ型雇用の思想そのまんまなのです。


つまり、
今の職場に栗山監督のような上司は生まれないかもしれないけれど、そうあるべきと語られ、求められている世界線は実はすぐそこまでやって来ているのだ!



■村神様になりたかったら

もし、
日本がジョブ型雇用を成功させ世の中に栗山監督のようなサーバントタイプンが溢れたら、部下は栗山ジャパンの一員になれるか否かでその待遇が大きく変わってくるかもしれない。

つまり、
必要人材として選考されれば、村神様のように信じてくれる優しい上司に愛され、絵に描いたような結果や美談が待っている。

が、
選考から漏れるようなことがあれば、つまり必要とされる人材になりきれなければ、再びパワハラ全開の古い上司に叱咤激励されながら何とか仕事をこなしていくことになる。


サーバントタイプ上司の推奨とそれを実現するためのジョブ型雇用には、
選ばれる側の素質、つまり自分自身の実力がとても大きく効いてくる。


日本の職場に栗山監督は生まれないと述べました。しかしながら、そんな栗山監督が生まれやすいような環境が推奨されつつあるのが今現在かな、と。

「さすが栗山!」「あんな上司が良いな」
そう言っている人の多くは気付いていないかもしれない。もう我々はそっち側の人間になれるか否かの”ふるい”の中にいる。

残るか、あるいはふるいを掛ける側の人間になるか。もう終身雇用前提の日本社会は守ってくれない。

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