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【迫真エッセイ】モテたい哀れな男たちの話

突然だが皆さんはモテたいだろうか。

こんな私にもかつて猛烈にモテたいと思っていた時期があった。あの感情はどこから湧いてきてどこへ消えていったのか。

思い返せば男という生き物はいつだってこのモテたいという感情の前に自分自身のペースを乱され、翻弄されて生きていると言っても過言ではない。

うぶな小学校時代、同じクラスの可愛いあの子がにっこり微笑めばその横顔を見ただけで脳天から煙が出たし、
多感な中学校時代は廊下ですれ違った女子のサラサラヘアーから漂う甘い香りで思わず股間を押さえたりした。

男という生き物は異性の前ではどうしてこんなに無力で低知能なのか。
神はそんな無力な男たちにしょうがねぇな、といった感じで筋力を与えたわけだけど、僕たちが欲しいのはそんな事よりもモテる方法だった。
全く以って仕事の詰めが甘いではないか!などと女子の髪に翻弄されるくせに神には文句をいう罰当たり男子たち。こうして抑えきれない欲情を筋トレで発散するという無意味な生活サイクルが誕生した。

僕たちはモテたかった。ただそれだけだったのだ。でもいつの時代だってその方法がわからなかった


小学校時代。
足が速ければモテるんでしょ?

これが当時たたき出された(恐らく)全国共通の答えだった。「ちょっと何すんだよ!テメェ」などと言いながらちょっかいを出し、逃げる、追いかけるを繰り返す男子たち。教室やグラウンド、学校の至る所で繰り出される恒例のアレ。実は女子の前でそのスプリントは更に加速する
いやいやそんなことは無いでしょう。と大人になった元モテたい勢の皆さんは否定するかもしれないがあれは紛れもなく女子たちにハンターとしての能力の高さの見せつける行為ダンスだった。

どうだい?オレ。走れてるだろう?カーブなんてキュッと曲がっちゃうからね。

などと女子たちのたむろする机の角を敢えて攻める。「ちょっと危ないから止めてよね!!」と注意されれば「うるせぇブス!」などと言いながら口角が上がる。ついでにウサインボルト並みにモモが上がる。こうして男たちは果たしてどこにあるかわからないゴールテープを探しながら自己新を目指して彷徨い続ける。

うっざ。きっも。

と、女子は思っていた。あまりにも低能すぎる男たちのうすら汚いじゃれ合いだ。そんなこともつゆ知らずモテ方を知らない男たちは疾走する。そしてゴールなどできず疾走したまま多感な中学生を迎えてしまう。


え、足が速くてもモテないんすか?

時代は動いていた。中学生時代。モテの定義がすっかり変わってしまった事に狼狽する低能男子たちが大量発生する。そう。僕たちが必死にモモを上げて疾走している最中にその条件は「ちょっと悪いやつ」に変わっていたのだ。

「ちょっとアブナイにおいがして、でもちゃんと優しくて、それって包容力を感じさせるし、それでいて少年のようなあどけなさも垣間見えちゃって」

男子より先に大人になる女子たちの要求は12年間生きてきた僕たちの全てを出し切ってもたどり着けない域に達していた。

何それ聞いてないっす。そんで超むずいじゃん!!!

いくら何でも難易度が高すぎる。よくわからない僕たちは取り敢えず純白のブリーフを派手なトランクスに履き替え、下半身だけでも収まりの悪い不良になった。
そしてダボダボのズボンに両手を突っ込んで「マジうぜーんだけど」などとブツブツ言った。もちろん先輩にシメられない程度に、だ。

当然誰もが理想的な”ワル”になれるわけでもなく、多くの男たちはその威勢の良さをせいぜいお母さん相手に発揮するのが精いっぱいだ。「マジうぜーんだけど」と吐き捨てながらその声が変声期で裏返ってしまい、果たして今のダサキモ発言をしたのはいったい誰かしら。などともう一人の自分が冷静に突っ込んでいる。

モテたい気持ちとは裏腹に女子との距離は一層遠くなり、とうとう男たちは「アイドル」という摩天楼に精神を解き放つ。やっぱ女子はショートカットだよな、などとどこから目線か分からない高さで理想を語り暗黒時代へ入っていくのだ。

平成初期の男子中学生たちは、制服がダボダボで歩き方がガニ股であればあるほど女子の理想に近づいていると思っていた。
どんな男達も自分に出来る範囲(つまり先輩にシメられない程度、親が心配しない程度)に自分なりの悪い男を演じていたのだが、ここでまた時代は何の罪もない僕たちに試練を与える。

また定義が変わるのだ。そう、僕たちは高校生になっていた。


ちぃっちぇ。このTシャツちっちぇ。

この頃の僕たちはとにかくカラフルなSサイズの古着Tシャツに無理やり体をねじ込ませていた。欲求を解放するためにこなしてきた筋トレが仇になるなんて、神様はいったい僕たちをどうしたいのさ。

なぜこんなことになったのか。他でもない。モテの定義が「ワル」から「オシャレ」に変わったからだ。

女子たちがテレビや雑誌の芸能人たちを褒めたたえ始める。金銭的にも校則的にも自由度の増した僕たちは一斉にそんな芸能人の真似をし始めたのだ。なぜって?モテるために決まっているだろう。

この頃とにかく雑誌を賑わしていたのがいしだ壱成や武田真治らのいわゆるフェミニン系だった。その特徴はちょっとだけ女子っぽいこと。特にそのシンボルとされていたのがピッタピタのチビTだった。

嘘だろう?と言いたいくらいについ先日までダボダボの学ランを着ていた男たちがそれらを一斉に放り投げ、街の古着屋に殺到した。そしてカラフルなSサイズのTシャツを学ランの下に着こんで登校し、脇下の食い込みと人知れず戦っていた。

果たしてオレたちは何をやっているのか。

そんなことはもうよく分からなくなっていた。とにかく僕たちはモテの定義に翻弄され、それによって迷走し、気が付けばピタピタのTシャツに乳首を立たせながら歩いていた

今、冷静になって思う。

校内の廊下を乳首の立った男子たちが占拠していたあの時、あの光景。あれがモテるための必要な儀式だというのならばあまりにも非情だ。

甲子園で仙台育英が優勝したとき監督さんが「青春って、密なんですよ」と言ったとき不覚にもあの頃のちっちぇTシャツと乳首の密状態を思い出してしまった僕を誰か叱って欲しい。


青春というのはやっぱり酷だ。そして今日も哀れな男たちを生産しているのだろう。
僕たちはただモテたいだけなのに。




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