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【迫真エッセイ】転職と苦悩の話③

「若手」と呼ばれていたころの僕はピュアで無邪気だった。効率化などという概念とは程遠くとにかく目の前に与えられた業務をがむしゃらにこなしていた。

おかげで激務だった。しかし一方で、入社時の志望動機(裏)であった「忙しくていいからお金がもらえる」を叶えていた。ただ、たくさんもらえていたかは疑問だ。言えることは、使う暇がなくどんどん貯まっていくという実態だ。

それで良かった。僕はいつの間にか「お金」より、「知識」の蓄えに夢中になっていったから。


■知識欲求

学生時代の僕は勉強しなかった。

田舎から都内に上京してネジが2,3本抜け落ちてしまった。絵にかいたようなダメ学生だった。仕送りを貰っている以上留年だけは出来ない。テスト期間だけ何とか凌いで単位を稼いだ。みんなと同じ(と言ったら怒られる?)クソみたいな学生だ。

それが社会人になり、自称”スーパールーキー”になったことで、その昔自分の中にも確かにあった何かを掘り起こした。僕は仕事を覚えることに対して快楽を感じるようになっていた

中学生?それとも小学生? モノを覚えることに”勉強”という面倒な概念が無かった時代にタイムスリップしたかのようだった。

今まで知っているようで知らなかったこと、そう言えば昔 授業中に先生が言っていたこと、生活していく中でぼんやりとだけ理解していたこと。技術の仕事をしているとこれらの輪郭が明確に見えることが多々あった。

手掛けたモノを世の中に放出してお金をもらうのだ。きっちり理解することは当たり前だった。真剣に理解しようとすることで本来持っていた知識欲求が満たされ、自己肯定感は高まった。プロであることを意識した瞬間かもしれなかった。

僕の知識欲求は止まらなかった。


■プロアクティブ

当時取引のあったベンダーさんの現場で、どんな工程を経てモノが作られているのか気になって仕方がなかった。気になって仕方がなかった僕は週末自分の車で会社(工場)訪問していた。彼女との約束はしばしばこの訪問で延期されるほどだった。

もちろんアポは取った。ただし出張ではない。あくまでも趣味の延長だ。そして、この訪問は必ずと言っていいほど先方から好意的に受け入れられた

理由はこうだ。

当時ベンダーさんは、弊社からの無茶な要求に辟易としてた。現場を知らない若造が、何も考えずに気軽に変更やら追加仕様を要求してくるのだ。一見簡単そうな依頼でも、工程の都合上困難な場合がある。それを知ろうともせず一方的にコストとスケジュールを決めて要求していたのだ。

これに対し、現場実態を知ればそんな無茶は言わなくなるし、何よりも事前にそれを頭に入れて設計できるため無駄な手戻りを回避できる。僕の単なる趣味は取引先にとって一筋の光だったかもしれない。そしてそれは、「こいつは一味違うぞ」と受け止められるのに十分な効果を持っていた。(当の本人はその効果に後になって気付くのだが・・・。)


僕自身もこの訪問を経て圧倒的に仕事が早くなった。

理由は2つあった。ひとつは設計のポイントを完全に把握できたから。そしてもうひとつは「鈴木さんの依頼なら最優先で対応します」と、ベンダーからの信頼を独り占めしたからだった。思えばこれが、僕が初めて勝ち取った効率化だったかもしれない。

こうして僕は知識欲求を満たしながら、同時に仕事が早くなっていく。したたかさは無かったが、完全に波に乗っていた。



・・・武勇伝を嬉々として語っているようでつまらないだろうがあと少しだけ辛抱して欲しい。この後やってくる不幸は落差があればあるだけ、面白いから(笑)。

虚勢と欲求だけで構築されていったこの快進撃は、もう少しだけ続くのだった。

 

 


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続く。
まだ転職の話は出てこないけど・・・もう少し続く。


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