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【真実】選択の妙。

恐らく、

全人類がこれを理解し、意識して生きることが出来れば、世界はもっともっと平和なんじゃないだろうか。


今日はそんな大それた話を、

大真面目に書く!!


選択の妙。

結論から言おう。

人は一方を選ぶと、一方を否定したと捉える。これだ。


不思議なもんで、これほど厄介な脳内変換はない。しかし、今この瞬間も世界のどこかで不毛な選択が行われ、そしてこの不毛な誤解が生まれ、そして世界が少しずつねじれていく。

もう我慢できない。だれか止めてくれ。


例えばこんな質問があったとする。

「コツコツ真面目にやるが挨拶ができないやつ」

と、

「全然やることをやらないが挨拶が出来て明朗なやつ」

どっちがいいと思う?


「うーん。コツコツ真面目にやるが挨拶ができないやつ。かな。」

「え、うっそー!!挨拶って大事じゃん?明朗な方がいいに決まってるじゃん?なんで?なんでそうなるの?」


ちょっと待て。

私は、コツコツ真面目にやるが挨拶ができないやつ。がいいとは言ったが、挨拶出来て明朗なやつが悪いとは一言も言っていない。

もっと言おう。コツコツ真面目にやって、挨拶できて明朗なやつが一番いいに決まっている。そうに決まっているが一方を選んだことにより、選ばなかった方を否定したことになっている。

こうして私は、 ”挨拶出来て明朗なやつ否定マン” に定義される。ふざけた話だ。


この例の場合、選択肢に若干の無理があるが、このぐらい大袈裟にした方が分かりやすいだろう。日常にいくらでもあると思う。一方を選ぶと、一方を否定したことと捉えらえれてしまう。そんな実態が。


聞き手のセンス。

これは、選択する側というよりは、その選択を聞く側に大きく依存する。つまり聞き手のセンスが問われている。

ある人が意見を述べていた時、その対極にあるものを否定しているのか否かをしっかり見極めなくてはいけない。

SNSが最たる例だろう。ある人のつぶやきを、その逆の否定と捉え、全力で非難する人がいる。残念ながらこれは、聞く側のセンスの無さをひけらかしていると捉えるよりほかはない。

もっとも、非難する人ってそんなこと気にせず、とにかく言いたいだけの場合もあるので何とも言えないが、少なくとも

普段の会話の中で、選択の妙について意識していけなければ、余計な誤解を生みかねない。まずは聞き手のセンスに依存している。


選び手のセンス。

「今すぐ100万円を持ってくるか、今すぐここから飛び降りるか、選べ」


ここにも選択の妙がある。

事情はさておき、100万円も持ってこないし、ここからも飛び降りません。という選択肢はどこへ行ったんだ。それが一番いいに決まっている。


人は選択を迫られると、そのうちどれかが正解だと思ってしまう。これもまた、ふざけた話だ。

全部欲しがっちゃえよ。選ぶなんて、そんなのは聞き手の都合なのであって、ちょっと待って。と一呼吸おいて、

「ところでさぁ、どっちも選びたいんだけど」とか「どっちも選びたくないんだけど」とか、そんな正論でもって相手からペースを奪う余裕が欲しい。


世界平和。

というとちょっと大げさかもしれないが、世の中に起きている多くの不信感は、この選択の妙に由来しているのではないかと考える。


聞き手も、選び手も、このことを理解し、意識して生きることが出来れば、世界はもっともっと平和なんじゃないだろうか。


LOVE or PEACE じゃない。

LOVE & PEACE だ。

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