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【真実】ライスを見て涙する日もある。

しかし人間と言うものは小さな生き物だ。

どんなに大らかに振舞おうと誓っても、一つや二つどうしても掃いて捨てられないことがある。

得てしてそういうものは他の人から見たらちっぽけに見えてしまうから厄介だ。

私の場合、それがステーキハウスのライスにあたる。


■贅沢な悩み

「何とまぁぜいたくな」

生前の祖母によく言われた。戦争経験者の彼女から見れば当然だろう。

私は幼いころから好き嫌いなくよく食べた。野菜も魚も一通りちゃんと食べた。人参だってピーマンだって、好き好んでと言うわけではなかったがとりあえず食べた。好き嫌いで親に迷惑をかけたことは無いはずだ。

そんな私だが、どうしても食べたくないものがひとつだけあった。それが、炊飯ジャーの中で保温された前日の米だった。


今の炊飯器は進化していて昔とは違う。あるいはすぐに冷凍してしまうこともできる。だが当時の我が家は夜炊いたご飯をそのままジャーで保温しており、それが朝食だった。

ある時からコーンフレークを食べるようにして逃げていたが、休日などそれが昼飯にまで出てくるようになるともう無理だった。

ジャーのご飯は、黄色くて固い。それがダマになったりしていると絶望した。


おまんまが食べられることに感謝して生きていくべき。私もそう思う。だが、高所恐怖症も閉所恐怖症も頑張ってどうにかなるなら誰も困らない。

私は、ジャーのご飯恐怖症だ。


心当たりは、ある。昔家から街に出かける途中に大きな精米所があり、そこから流れてくる精米のにおいと車のガソリン臭が相まって、私はその道でいつも酔った。

今振り返れば、親父の車のガソリン臭が原因の8割とも思えるが私は精米臭を責めた。そしてそれに近い臭いのするジャーのご飯を責めた。

私は、ジャーのご飯恐怖症。立派なトラウマだ。


■ステーキハウスにて

私はいい大人になって2,000円のステーキをランチで注文するぐらいの余裕を得た。

余裕は得たが、何しろ逃げも隠れもできない一般人だ。一切れ数千円の肉を舌の上でじっくり味わうようなセレブな食い方はできない。美味い肉にはコメが要る。


話がそれるが昔彼女の誕生日にちょっと高めの中華料理にいった。絨毯がフカフカの高級店だった。メニューはいずれも聞きなれたものだが味は絶品だった。

そして麻婆豆腐を頼んだ時に我慢が限界に達した。私は彼女のいる前で、ライスを要求した。

麻婆豆腐を一度ライスに乗せてから食す、いわゆる「バウンディングシステム」を発動せずにはいられなかった。高級店で犬のように食った。美味かった。そこで私は庶民であることを自覚した。

美味いディッシュにはコメが要る。それ以来これが私のスタンダードとなった。


さて、ステーキ店。ちょっと高めのサーロインと、ライスを注文した。値段は一緒だが小ライスにした。

気になるカロリーと、必須である米との妥協点だ。私は常にこの絶妙なバランスで満足感ラインをギリギリ超える。

満腹になってはいけない。だが欲求は満たす。これが大人になった私のテクニック、生きざまだ。


ジュウジュウという威勢のいい音と共に肉が運ばれてきた。そして間髪入れずライスが運ばれてきた。

もうオチはわかるだろう。

ライスを見て、私は泣いた。


■心よりお願い申し上げます

美味いステーキ店と焼き肉店と、それから美味い中華料理のライスは、ジャーの残りご飯では困る。

黄色くて、ダマになっているライスに、御社の良質な肉は似合わない。最高は常に、最高に囲まれているべきだ。神は細部にこそ、宿る。


小言の多いうるさい客だと思うだろう。安心してほしい。私自身もそう思っている。だが、

私は、ジャーのご飯恐怖症だ。


美味い肉は美味いコメと一緒に食べたい。

お手数をお掛けいたしますが、何卒、何卒お取り計らいくださいますよう心よりお願い申し上げます。


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