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感想『卍』著:谷崎潤一郎

※ネタバレ注意

あらすじ

 孝太郎という旦那がいながらも、光子という女性に恋してしまった女性、園子。
 処女ながら妖艶な魅力を持つ光子に身も心も嵌っていく。
 しかし、光子には綿貫という交際相手がいた。綿貫は、光子を自分のものにしたいがために、あらゆる工作をして園子との仲を裂こうとし、園子だけでなく、光子も孝太郎も巻き込まれてしまう。
 光子の魅力に狂った人々の末路は。

感想

 昭和3年から連載が始まり、同6年に刊行された『卍』は、谷崎潤一郎の初期〜中期の作品であり、その文体は、登場人物「園子」の語り"のみ"で進む口語体、という極めて冒険的なものである。また、舞台が大阪であるため、園子の口調もいわゆる大阪言葉であるため、全編なかなかに読みづらく、溢れんばかりの注釈と本文とを行き来しなければならなかった。
 しかし、そのような難読さをものともせず、園子の口からつらつらつらつらと語られる物語には物語の当人だからこそ持ち得る迫真さがあり、語り手が本の中から語りかけてくるような感があった。
 本作は、前述の通り全て園子の言葉で語られるため、いわゆる信用できない語り手作品の一種でもある。園子の口を通して事実しか知り得ない以上、実際に何があったかは確かめようがないのだ。例えばラストの服毒シーンだって、都合よく園子だけが生き残ることがあるだろうか、という疑問も当然湧くのだが、確かめようがないのである。
 また、作中では、同性愛の噂を流した犯人が実は光子であったシーンや、綿貫が光子を妊娠させたことが嘘で、綿貫自身「種無し」であることが明らかになるシーンなど、どんでん返しも多くあり、推理小説の走りという評価があるのもわかる。
 さて、本作品には同性愛の要素があるが、しかし、光子という女は、園子と寝るが最終的には孝太郎とも寝るので、レズビアンやバイセクシャルというより、その魅力で関わる人間を全て狂わせてしまう悪魔的な存在として描かれていると思われる。
 谷崎潤一郎は"道徳功利性を廃して美の享受・形成に最高の価値を置く"『耽美主義』の作家として知られており、女性というものに一種の崇拝を持っていたと言われている。
 光子はそのような谷崎の心情が作り上げた理想の美の化身であり、園子が描いた光子の観音絵の前で三人が服毒自殺を図るラストシーンなどは、非道徳的かつ背徳的で、恐ろしくも惹き込まれる凄みのあるシーンであった。

 しかし、氷点も卍も、昭和の文学は現代文学より人々の心情がより薄暗く、物語に救いがなく、死の香りが濃く漂っている気がするのは私の思い込みだろうか。
 本作は、文学に触れた最初の「こんなに不道徳で背徳的なものを読んでもいいんだ」という情動を思い起こさせる一冊だった。

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