映画感想『君たちはどう生きるか』
※ネタバレ有り
さて、周知の通り事前情報ゼロ、広告ほぼ無しという前代未聞の広告戦略で話題になった宮崎駿原作・脚本・監督の三本揃い、やりたい放題やってんだろな感が滲み出る本作『君たちはどう生きるか』、なんだか自己啓発本みたいなタイトルで、内容も説教くさいんだろうな〜などと想像しながら、まんまと広告しない広告戦略にのせられて初日から観てきましたよ。
感想
やりたい放題やりすぎ〜〜〜!!!
というくらいには脳がぐちゃぐちゃにされるような駿ファンタジーであった。
とはいえ宮崎駿作品を全く一切何の前情報もなく観るという体験はもう今後一切あり得ない空前絶後のものであることは間違いない。
だが、語る必要がある!初見時の自分の解釈を残す必要がある。こういう難解な作品を観た時の初見の解釈は、そのまま自分の感受性や読解力(の無さ)を再確認できるいい機会だ。
この作品の大テーマは?
母の死を乗り換え、継母を母として受け入れるまでの少年の葛藤?それにしては葛藤の部分が薄いし、ナツコは割と自力で助かってたな。
では、眞人が優しい世界の外に出て現実の世界を選ぶ選択の物語?としては表層的すぎるよなあ。
それより何より気になったのは、父親が兵器を売っている富豪、戦争当事者で、出征する若者と山奥の豪邸へ向かう眞人とのスレ違い、この辺のある意味戦中における眞人の特権っぷりが全くもってくじかれることなく、最後はさらっと戦争は終わりました〜家族みんな変わらず金持ちでエンディングなんだよな。
そんな眞人が優しい世界はやめて現実に生きる!継母を母と認める!みたいなテーマは上滑り感がパないというか……。
母の死の受容、というか時空を経た親子の邂逅って、思い出のマーニーでもやったよね。監督米林さんだったけど。ボーイミーツガールはもう飽きたのかな?ジブリの好きなとこなんだけどな。
その他、宇宙から飛来したとされる塔が多次元空間を繋ぐワームホールの役を果たしていて、映像出力装置としてとてもよく機能していた。ジブリの世界観構築力とマッチしてなかなかのワクワク感があった。母親が残した本のタイトルが『君たちはどう生きるか』で、読んだ眞人が涙を流すシーンがあるが、あの本はどこから来たのかとか、内容は何だったのかとか、宙ぶらりんじゃない?その本にまつわるエピソードってこの映画の外から知識として持ってこなきゃ楽しめなかったりする?等々
まとめ
ということで、今作は駿の脳内世界がブワワって溢れ出したSFだったように思う。良くも悪くもメッセージ性とか教訓とかそういうものはあまり感じられなかった。エンタメとしてもいまいち眞人に感情移入できず、客観的にキャラとしてみても、突然の自傷、暴力的な行動、計算高い性格等なかなか好きになれないやつだった。かわいいヒミも母親だし……
聡明な人の感想を読み漁って新たな視点を手に入れられたなら、もう一度観て楽しめるだろうか。
Cパート
さて以上の初見時の感想は本当に読解力不足で晒しておくのも恥ずかしいが、折角の自分の言葉なので残しておこう。
そして、色々な意見に触れて分かったことは追記していきたいと思う。
追記
大叔父がパヤオだという意見
これを見て色々氷解した。パヤオは引退作で今まで積み上げた積み木の城の崩壊を通して、後継者の渇望とその不存在を描いたのではないか。
人生の全てをかけて描いてきたアニメーションという牙城は結局夢物語であることを悟ったとすると、なんと恐ろしい気づきだろう。
でも、確かに何かに人生をかけて夢中になってきた人だけが気づく一種の空虚さというものはあるように思う。直近だと庵野秀明がエヴァで現実に帰っていったことのように。
夢の先を追い詰めた人にだけ見える景色が、眞人(リアルヒューマン)なのかもしれない。
そう考えると、積み木をブチ壊すインコの将軍は、パヤオを取り巻く負の象徴であり、塔から泡を食ったように逃げ出すインコは私たち?
七色のインコ達に囲まれて家族と再会を果たすシーンには、戦時中でも失われない本当の愛の輝きを表象しているのかもしれない。思えばトトロも千と千尋の神隠しもそうだが、少年少女が冒険を終えて最後は家族の元へと帰って行くし、駿は最初からずっと愛を大切に言っていたのかもしれない。
眞人がパヤオだという意見
これは著名なアーティストである村上隆氏がつぶやいていたことだが、眞人がパヤオ自身であるという。
作中で出てくる海の世界は、ベックリンの死の島であるらしい。この絵画は風立ちぬの背景にもしれっと登場していたらしいのでどうやらモチーフにしているのは本当っぽい。
絵を描く人は、絵画を鑑賞するとき、組み立て方において作家の脳内の思考というかシナプシスのつながった電極の道のりを理解、トレースするらしい。6角形の幾何学的な産道の様な道を歩く時、チカチカと電気のスパークが出てくるが、それがその芸術が産み出されるシナプシス内での電極発生表現であると。
死の島の土台はノアの箱舟になっており、そこから航海へ出て、太陽の無い死後の世界で高畑勲と旅をし、若い時分の母と出会い、母と自分の回顧が深く行われ、そして、眞人=駿が、義母となるなつこお母さんと言う現実を受け入れ、真実の母も己の青春に踏み出していく。母であるヒミと出会い、対話し、本当の意味で死を乗り越える物語だという。
また、別の情報として、病弱であった駿の母親の見た目がヒミにそっくりであるようだ。
色々な意見をみて思うのは、母親への愛、父への不信、不幸な境遇、血を超えた友情、生と死等、今まで創作に込めてきたすべての要素を、脳内の絵画的映像にぶち込んでエンタメにしようとした、駿の人生のポートフォリオなのだろう。
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