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単純な脳ミソ

どうも僕という人間の脳ミソは、他の人より単純なのかもしれない。

嫌なことがあると些細なことでもすごく落ち込み、逆に良いことがあると1日をルンルン気分で過ごすことができる。

特に、小さい頃から褒められる経験が少なかった僕は褒められると分かりやすく調子に乗る。

今だって、この前たまたま職場に髪をセットして行き、同僚に「雰囲気変わるね~」などと言われて以来、毎日髪をセットして仕事に行くようになった。

それだけでなく、少し髪色を明るくしてみた。

目敏い人はそんな些細な変化も気付いてくれて、少し嬉しかった。

なるほど。変化に気づいてもらえるというのはこんなにも嬉しいものなのか。

かなり勉強になった。


このような感じで、僕は褒められれば褒められるほどやる気になるタイプだ。

逆に、昔ながらの教え方「危機感を煽ってやる気にさせる」指導法や、「厳しく指導して甘えを封じる」スパルタな指導法は滅法合わない。

危機感を煽られると、ここから悪い事を連鎖的に考えてしまいドツボにはまるし、厳しい指導では窮屈過ぎてやる気を失うばかりか、怒られればモチベーションも瞬時に下がってしまう。

よく「現代の若者は打たれ弱い」なんていうが、僕は完全に「現代の若者」の代表格である。


それもこれも、脳ミソの思考回路が単純だからだろうと僕は思う。

ある人はこんな僕にこう言った。
「思考が子供だ。社会を舐めている。」

別の人はこう言った。
「純粋な心を持っている。好奇心の塊だ。」

僕の前の会社の上司と、今の会社の社長の僕を評価する言葉だ。

単純な脳ミソの僕は、前の会社で体調を崩してしまうまで追い込まれ、今の会社ではイキイキと働けている。

ここまで両極端な環境で働くことも、そうそう無いのではないかと最近考えるようになった。


「現代の若者は打たれ弱い」


こんな風に言われていると言うことは、たぶん僕と同じように単純な脳ミソを持つ人が増えているのだろう。

そして、この単純な脳ミソを持つ人を「子供」だと切り捨て、「社会は厳しい」と考える人がまだ大勢いるのだろう。

思うに、「危機感を煽る」指導法も「甘えを封じる」指導法も「社会は厳しい」という考えから編み出された指導法だ。


――全くもって窮屈だ。


何故、自分達で社会で生きる難易度を上げてるのか。
もう少し単純な脳ミソで生きて欲しい。

そして、良いところは褒めて欲しい。

叱られたりしたときは、まあ単純なので必要以上に落ち込んだりすると思うが。

それでももう少し単純に生きた方が、楽しいとは思わないかい?

なんて、ふと思った。




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