読書感想:コロナショックと昭和おじさん社会

先日読んだ経済系の書籍が読みやすかったので、勢いでAmazonでポチッた日経プレミアシリーズの一冊、『コロナショックと昭和おじさん社会』

ページ数も少なく、内容と文体も軽めなのでサクサク読めた。
この手の本は小説と違い、アウトプットしないとホントに頭に残らない。
なので、今後もできるだけnote記事に残すようにしようと思う。

さて本題。
本書は、コロナ禍でダメージを受けた人たち、浮き彫りなった様々な課題を取り扱っている。
取り上げられているのは、シングルマザー・ファザー、非正規社員、介護業界、介護ヘルパー頼みの高齢者、、などなど。
これらはコロナで表面化しただけで、元々抱えていた問題であると論じている。

部分部分の本書まとめと、それに対する感想という形でアウトプットする。(相変わらずとっても長い記事になりました汗)

部分まとめ&感想 その1

超高齢化社会となり、家族のカタチが変わった今でも、高度経済成長期の「4人1家族」前提の「家族でひとつよろしく!(雑w)」みたいな介護制度のままである。
介護は家族の責任だし、介護離職で中高年で一度仕事から離れれれば再就職も難しい。
これに対し、ドイツあたりでは国全体で介護にあたる、サポートする形であり、家庭介護をしている場合でも補助金が沢山でるし、介護が終わった休暇?みたいのが与えられるし、再就職もしやすい。

私の実家は祖父母がなくなるまで、祖父母、定年退職した両親、社会人の三男坊で構成されていた(長男、及び次男の私は一人暮らし)。
割と珍しく、本書的には恵まれた?パターンであると思う。
なので世の中の実態を私はあまり知らなかったのかもしれない。
読んでて『ひええ』ってなりました。
ただ、そんな私の実家でも両親が祖父、祖母を介護するのは大変そうだった。(全然手伝ってやれなかったけど、、)
介護周りは全然知らないながらに、これを将来自分がやるのか?と思うと正直かなりプレッシャーである。
あまり知らない私ですら「国全体で介護サポートするよ」感が漂っていることが分かるくらいの社会になればすごい安心できるのだろうか、、

部分まとめ&感想 その2

日本の非正規雇用は安い。
全体の4割が非正規雇用なのに、社会は正社員前提で色々作られており、非正規雇用社員は圧倒的に不利。
企業側は単なる雇用形態の違いで、賃金・待遇格差、雇用保険に入れず、産休・育休・有休をとりづらくし(これホント?)、時短労働ができないなど、働かせ方を区別し、機会格差・自分格差を生み出した。
欧米諸国では「企業が必要なときだけ雇用できる」「解雇によるリスクがある」ため、賃金にプラスαがあり、一般的に正規社員より非正規雇用社員の方が給与が高い。


機会格差で言うと、非生活貧困層(持ってる者)の子供と比べ、生活貧困層家庭(持たざる者)の子供は「遠出」「習い事」「学習」「プレゼント」「お年玉」「祝い事」などの機会が少ない。

幼少期に様々な経験をすることで、80年以上の人生を生き抜く「リソース」を獲得する。ところがこれらの幼少期に経験を積んでこなかった子供たちは進学、就職、結婚などの機会が比較的制限されるようになる。
小中学校での自殺調査では、「いじめ」2%に対し、「経済的貧困で将来を悲観」5%となっている。
また、貧困層ほど子供の「学習意欲」が低い傾向にある。生活に余裕がない家庭ほど、将来の展望、教育、励まし、時間や愛情など、多くのリソース欠乏につながる

私自身が正社員であるのと、人事周りに全く絡んでないので、正直、非正規雇用者の件イマイチ実態が分かってない。。

貧困層が「機会損失」「意欲低下」「様々制限される」件、なんとなく分かっていた気もするが、改めて読むととても胸が痛い。

世の中の常識、市民権を得ている声の大きな意見の多くは「持てる者」が作り上げている。
メディア・政治なんかも、基本的には一般層(広義の「持てる者」?)向けの情報発信や政策が主になっていて、
普通に暮らしてテレビ見てるだけでは、真に貧困の人達の情報が入ってくることがあまりなく、
「持たざる者」からすると、テレビや政権の発信内容ってのは自分達向けじゃないんだなと感じているのではあるまいか。

また、「持てる者」がイメージで作っている「持たざる者」が救済策立てたとしてもなんとなく的外れで、空回りしていて、それを感じてより孤独感、疎外感、絶望感が強まるのかな、、、
と想像した。

正直、経済的には私は「持てる者」よりかと思う。
これは転職などである程度足掻いて、自分の行動と運で手に入れた結果だと思っていた。だが、幼少期からの「リソース」がある程度充足していたので繋がった結果なのか?と思うとなんとも言えない気持ち。

「わかってくれない感」「疎外感」の辛さはある程度分かる、分かっているつもりだった。
30年弱の比較的恵まれた人生の中でも、人と比較し、「持ってない部分」にピントを合わせて、マイナス感情になった事は腐るほどある(今でも沢山ある)。

だが、こんな感情すらまだ恵まれているのだろうか、、
うーむ、我ながらなんとも悲観的感想。。

強いて言えば、ミスチルのなんかの曲の歌詞が、一つの答えに最も近しい。
「一つにならなくていいよ。認め合うことができればさ」

ただこれに更にネガを重ねると、
実際には、一つになりたくてもなれない(絶対に)
真に認めあうことはそうそうできない。(その気になっているだけが多い)
のだろう。
あー、ムズイな、、

部分まとめ&感想 その2

2010年頃からのグローバル化が進み、楽天三木谷社長など「日本でしか通用しないような人はもう要らない」といった思想がはやり、暗に格差社会を助長する風潮が高まった。
同時並行で「自己責任論」が闊歩するようになった。
グローバル化というパワーワードは経済の枠組みを超え、日本人の意識、価値観、生活、教育を変えてしまった。
また、私たちは、おカネを稼ぐ能力の高い人が「価値ある人間として振る舞える権利」を得られることを経験的に学ぶ。
その人がどういう「人」なのか?ではなく、金をたくさん稼げる、あるいは稼げそうな「属性」なのか?で序列が決まるようになってしまった。

グループ一九四八年(『文藝春秋』に投稿した保守派知識人の集まりらしい)が1975年に近しい予言をしていた。
我々は部分を見て全体を見ることができなくなり、短期のことしか考えず、長期の未来を見ることができなくなりつつある。
日本は自滅しつつある。
これを食い止めるのは、欲望肥大のサイクルから抜け出すことが必要で、自己抑制を行い、人の幸福をカネで語るのをやめ、国民が自分のことは自分で解決するという自立の精神と気概を持ち、政治家やエリートは大衆迎合主義をやめ、指導者としての誇りと責任を持ちなすべきこと、主張するべきことをすることだ、と結論づけた。

「自己責任論」で意識や価値観が変わった。
これは、言われると自分の中でも覚えがある。
圧倒的に、覚えがある。

割と進学校だった高校時代、周りの優秀さに嫌気が指し、嫉妬し、反抗心を持ち、大学は有名私学の「国際農業支援を行う人材育成」が趣旨のモノめずらしい学科に進学した。(大学自体は知名度あるものの、学科は割と低偏差値。汗)

「いい企業で沢山カネを稼ぐ」ルートから逸脱しようと思った。
言ってしまえば、新たな価値観を探ろうと思った。

だけど結局一般企業に就職した。
転職を2回繰り返し、一定、納得のいく会社に入ることができた。
と同時に、自分でも驚くほど気づかぬうちに
【金をたくさん稼げる、あるいは稼げそうな「属性」なのか?の序列で人をみる意識】が肥大化していた。

この本読むまで、正直あまり気づいてなかったかもしれない。
あぶねえ。

転職2回して上手くいって、「自己責任的に自分は満足できる環境を得た」と思い込んでいた。
「つまらない」「給与低い」と嘆いている知人を見ると「転職すりゃいいじゃん」と短絡的な考えに陥っていた。
裏を返すと、かなり「自己責任論」濃いめマシマシ思考であったと思う。
ゼロサム思考はよくなく、一定自己責任・自己判断もある。
のだが、濃淡の問題だ。
超根本となるベース、リソースや社会、自分に対する期待感が私と異なるし、業界によっては中々抜け出せないスパイラルもあるだろう。
これらを忘れないようにしたい。

あと、グループ一九四八年、、今まで知らなかったけど【答え】だしてるじゃん!!天才か!!と思う。

高度経済成長期は「まだまだ発展するぞ!」という希望に支えられて、夢見ることができて幸福感があったんだろう。

だが、今の日本は希望が見えない。社会は病んでいる。途方に暮れている。
資本主義な世界の中で、カネ稼いで、国力維持してというのは分かる。
ただ、日本人の人間的な幸福度はこれと切り分けて考えなくてはいけなくて、それが驚くほどおかしくなってるので、経済面以上に、幸福を感じれない迷子になっている気がする。

なんでおかしくなっているのか。
「拝金主義」「グローバリズム」「資本主義」「個人主義」に浸食されすぎていて、経済的尺度で人と比較し、繋がりが希薄になり、日本人古来の「道徳」「義理」「人情」「気概」的な良さが消えつつあるからだと思う。
グループ一九四八年の主張はあまりに的確すぎる。
(そんな時代だからこそ、「ワンピース」は「信念」が根本にある主要キャラがまぶしくうらやましく写り、大ヒットコンテンツになった気がする)

上記、前々からうすうす考えていて、実は一定私の中で結論も出ている。
おかしくなっている世の中を、幸せに生きる為の防具。
それは、「仏教的思想」と「ブルーハーツ的(甲本ヒロト的)思想」だ。
最近の私をよく知る人、超希少な読者ならイメージできかもしれないが、ヤバイ思想な訳では決してない(と自分では思っている。笑)

ここらへんはいずれ記事で書こう。

以上、終わり。

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