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660日書き続けて変化してきた、noteを書く効用

noteを書くことは修行だ。

そう思うきっかけとなったのは、尾石晴さんのVoicyを聞いたからです。

noteを書き始めるようになって、わたしは自分探しの迷路からようやく脱することができました。

今日のnoteは、660日毎日書き続けてる中でnoteを書く効用が変化していることに気づいた話を書きたいと思います。

なぜ、自分が見つからないのか?

そもそも、なぜ自分が見つからないのでしょうか。

晴さんは、Voicyで「自己分析は、探すものではなく、ずっとここにあるものだから、海外に行って自分探しをしても自分は見つからないんじゃないか」「自分探しは西洋的アプローチ、師匠にならって修行することは東洋的アプローチだ。自分が見つからない人はアプローチ法を変えるべきでは」とおっしゃっていました。

わたしは、これを聞いて、1人の大学の先輩を思い出しました。

彼は、就きたい仕事がなくて、一度とりあえず就職したものの、すぐに辞めてワーキングホリデーの制度を活用してドイツに行きました。

そして、ドイツで食べたチーズケーキに感動して、チーズケーキを作る道を目指すことに。

今は日本に帰国して、チーズケーキマイスターとして、チーズケーキを販売するお店を経営しています。

そんな彼をみていると、わたしは海外に行く目的は自分を探すのではなく、自分が夢中になれるものを探しているんじゃないかと思ったのです。

海外に行けば、日本にいたときの常識や価値観、思い込みに気づかされて、自己理解も進むでしょうし、経験が増えることで、夢中になるものを見つけられる確率は上がる。

そんな期待を胸に、海外に行くのではないかと感じます。

noteという自分探しの旅で見つかった修行したいもの

わたしは元々は、自己理解のためにnoteを始めました。

いわば、わたしにとってnoteを書くことは海外に自分探しの旅に出ていたようなものです。

自分の書きたいことを書き散らかすことが楽しかった自分が、いつしか読んでくれる人のことを考えて文章を書くように変化していました。

そこで足りなかった自分の文章の力に気づき、転がり込んだライティングスクール『ものかきキャンプ』。

ここで、師匠にならって修行することにしたのです。

自分探しの途中で修行したいものが見つかった感覚。

自分の書きたいことを書いていたときよりも、取り組みの負担度は明らかに増えているけれど、これが晴さんの言う「修行を通して自分の枠を外すということ」なのかと感じています。

でも、これが自分ではない何かになろうとしていることだとは思ってはいません。

修行を通して、師匠を目指しているのではなく、自分のありたい姿を目指しているから。

自分がわからなくて、とにかく自分を変えたくて、もがいていた過去のわたしに一言言えるとしたら、

noteを書こうと決意したことは間違っていないよ。だから、書き続けて。

と言いたいです。

行動の先に巡り会えるもの

最初の目的は、自分探しだろうがなんだろうが、なんでもいいのかもしれません。

今の自分はイヤだ
自分を変えたい
自分のことがわからない

そんなふうに思ったときに、海外に行くでもnoteを書くでもマラソンを始めるでもなんでもいいから行動に起こすということが1番大切なことのように思います。

全部自分のことを理解してからじゃないと進めないわけではない。

行動していくうちに理解できることもあるんじゃないかと感じるのです。

行動した先にきっと修行したいと思える自分の好きなことに出会えるはず。


わたしの叶えたい夢は、

文章の力で自分自身が自立すること
文章の力で悩めるワーママを救うこと

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