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頭が心を知らんふりするとき。

本の中で、こんな文章と出会いました。

頭が心を知らんふりするとき

旅に出たいのに、出かけられない理由をさがしだす。
髪を真っ赤に染めてみたり、似合うかもしれない
攻めたファッションに挑戦してみたりはしない。
ロックコンサートで、借りてきた猫のようになる。
両親に今さら「愛してる」なんて恥ずかしいから言わない。
スフレのレシピは難しそうだから、習わない。
実用性が低そうなツードアのスポーツカーは買わない。
歌手になる夢があるのに、
開発チーム係長に甘んじている。
片思いでも、告白はしない。
頭が心を知らんふりするときに起こり得るのは
詰まるところ、
何にも起こらないってこと。

+1cmIDEAたった1cmの差があなたの心をガラリと変える


読み終わって、思ったこと。

心がこうしたいって思ったことを、面倒でも恥ずかしくても緊張しても、絶対見逃したくないっていうこと。

やる前から諦めて、何にも起こらない人生にしたくないっていうこと。

そして、今、心が思うままに小さな挑戦をし続けていることに、少しだけ自分を肯定したくなりました。

心がやりたいと言っている、手帳づくりと本づくりとマルシェ出店、知らんふりをせずに、時間がかかっても少しずつ少しずつ小さなチャレンジを続けたい。

時間がないから。
自信がないから。
自分にはできないから。
勇気がないから。
難しそうだから。

そんな言い訳をして、何かをしない選択はしない。

それは、大きなことでもどんなに小さなことでも。

頭で考えれば考えるほど、できない理由を探してしまいがちだからこそ、とりあえず、できることをできるだけやってみようと思ったのです。

そして、読み終わるころにふと高校生の時、憧れの先輩に、勇気を出してメールアドレスを聞いた時のことを思い出していました。

私の高校時代の唯一の青春。

先輩は、綺麗な顔立ちをしていたけれど、そのことを自覚している様子がなくて。テニス部の部長を務めているのに、率先してボール拾いする素敵な先輩でした。

アルバイトが入っていない時には、放課後よく友達と教室からテニス部の練習を眺めていたことが懐かしい。

結局恥ずかしくて、話せずメールのやりとりだけで終わったのだけれど。

卒業後たまたま再会して、あの時は緊張して話せなかったのに、すごく仲良くなって、一緒にサイクリングに行ったり、テスト勉強をしたり、バイト帰りに会って話をする仲に。

その時もそれ以上の関係にはならなかったけれど、いい友達になれた気がして嬉しく思いました。

あの時勇気を出したから、何かが起こったと言える出来事となりました。

恥ずかしいから何もアクションを起こさなかったら、再会したとしても、相手は私のことを覚えていなかったでしょう。

何かが起こる時というのは、きっとその前に小さな行動があるんですよね。

小さくても、たくさん種まきすれば、すぐに芽が出なくても、時間がかかっても花が咲くことがある、かもしれない。

自分で自分の芽を摘んでしまうだけは、しないようにしたいと思うのでした。

この記事を書いた後、ちょうど今日のVoicyでまいちんさんのタイムリーな放送を聞きました。

何かをやってみて、それを形にしている方のお話は説得力と言葉の重みが違います。

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