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「手ごたえのなさ」はゼロから絞り出した文章と着想から書いた文章の違いだった

最近の私のなやみ。それは、手ごたえのある記事が書けないということ。

来る日も来る日もしっくりこない記事を書き続けては、ああでもないこうでもないと、一度書いた記事を書き直したり、タイトルを書いては消し、消しては書きを繰り返していました。

毎朝「今日のnote何書こう」が口癖となり、頭の中が空っぽ。こんな毎日を送っている中で手ごたえのある記事と手ごたえのない記事の違いに気づきがありました。

ゼロから絞り出した文章は、どこかうわべだけの文章に

いつものように、「今日は何を書こう」と下書きをまず見る。そして、保存していた仮タイトルを見て愕然とするのです。このタイトルで本当に書ききれるのだろうかと。

読者さんの前に自分が離脱しそうと不安になる。それならばとゼロから書き始めるのですが、やっぱり書けない。ああでもないこうでもない。何回読み直してもうわべだけの文章。

でも、私はうわべだけの文章を眺めてモヤモヤをしながら投稿ボタンを押すのです。毎日更新することに意味があると信じているから。

悩んで苦しんで書き続けた先にしかない書けない渾身の1記事に出会えることを心待ちにして。

私の憧れの小説家も文筆家もミュージシャンも陶芸家も写真家も自分の作品全てがベストなんてことはないだろうし、世間の評価も違う。「今回の曲はあんまりよくないね」とか「今回の小説は前の作品よりおもしろくないね」などの声と自分の中の手応えと向き合いながら日々創作活動しているのだろう。

きっとその葛藤や苦しみが次のベストセラーに繋がる原動力になるんですよね。

そう思えばたった160日前からnoteを書き始めた素人の私が全ての記事に納得のいく文章が書けるはずがないのです。

手ごたえのある文章は着想から降りてきた文章

私の中で満足のいく記事が書けた後は、手ごたえと達成感、充足感が満ち足りた気持ちになります。そんな時は、ガリレオのドラマの湯川先生がひらめいて計算式を書くように私もほとんど思考せずとも文章を思い浮かんだまま書いていました。

あの感覚はしばらく体験していない。あの感覚で書いた文章が一番気持ちよくて、達成感があって、きっと私は書いたあとドヤ顔で投稿ボタンを押しているのだと思います。

では、どうすれば着想できるのか。

毎日考えたことをひたすら拾い、広げ、深め、考え、言葉にしていく作業が必要なのだと思います。その積み重ねが着想へと繋がっていく。

ゼロから絞り出した文章たちが着想に繋がる日を待つためにも書き続けなければいけないのだと思います。

アメリカの作家リチャード・バックが言われた言葉。

プロの作家とは、書くことをやめなかったアマチュアのことである
リチャード・バック

手ごたえのないnoteを書き続けてモヤモヤとしていた私はもういません。ゼロから絞り出したうわべだけの文章を積み上げて階段を毎日1段ずつ登りたい。

着想した時には数段飛ばしで階段を上がれるようになるから。

書けない不安、手ごたえのなさ、モヤモヤを乗り越えて、文章を書くことを仕事にしたいと思った朝8時半でした。

いつもは日中に書くnote。もしかしたら、noteは頭がすっきりしている朝に書いた方がいいのかもしれないという発見が1つできました。

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