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さようなら、わが前線。

もうすぐ別れの季節がやってくる。そんな別れの季節に、最後に会う仲間と最後の青春を過ごしてみるのも一興かもしれない。
この前、追いコンに参加したら、ゲームの一つとして、「親子かるた」をすることになった。あ、いい忘れていたが、私は大学でかるた部に入っている。だが、就活で忙しくなったため、練習時間はぐっと減った。というか、ほとんどといっていいほど練習していない。

けれども、追いコンでは、あわよくば接戦まで持ち込めないかな、なんて思っていた。自分の持つセンスでどうにかできないだろうか、と。
しかし、現実はそう甘くない。あろうことか、お手つきしまくり、かなりの劣勢になってしまった。勝負に勝つ、ということは、ほぼ不可能な状況になってしまった。


話はいったん変わるが、現役時代、私は手の位置が低い、という強みを持っていた。

と切り出しても、競技かるた選手でない人には全くわからないだろうから説明する。まず、札に手がすれすれになるぐらい近くなっている状態を想像してほしい。その状態だと、手の下に相手の手が入り込むことは難しくなる。だから、「手の位置の低さ」は私の大きな強みでもあり、一方でウィークポイントでもあった。
それは、競技かるたでは札をよけなければならないときがあるからだ。というのも、100首ある小倉百人一首のうち、読まれるのは50首で、読まれない歌は50首だ。その読まれない歌と読まれる歌は、あるタイミングまで待つ必要がある。

例えば、百人一首には、「あまつかぜ」で始まる歌と「あまのはら」で始まる歌がある。「あまつかぜ」のほうが読まれる歌で、「あまのはら」が読まれない歌としよう。この2首は「あま」まで同じなので、試合の際には、3文字目が読まれるタイミングまで待って、「の」と読まれた瞬間によけなければならないのだ。
私のウィークポイントはそこだ。手の位置が札に限りなく近いので、お手つきしやすくなってしまうのだ。現役時代は、身体がよける感覚を覚えていたので、お手つきの回数はそれほど多くはなかったが、ここ1年は全く練習していなかったので、そのよける感覚を忘れてしまっていたのだった。
それだけじゃない。現役時代に比べて、すぐ息は切れるし、身体が動かなくなっていた。

ああ、私の前線はもうここじゃないんだ。そんな気持ちになった。現に、かつて私が教えた初心者の後輩は、いまや練習不足の私を脅かす存在へと成長していた。ギリギリやり合えるんじゃないか、なんて期待していたほうが愚かだったのだ。後輩たちは、私が休んでいたこの1年間ずっと、コロナ禍でも練習していたのだから。
それに私だって、もうちょっとで社会人になろうとしている。かるたは、仕事の片手間にやれるような競技ではない。時間的な余裕はぐっと減るし、強豪選手相手に片手間の努力が通用するとも思えないからだ。私の前線は、仕事に移すべきじゃないだと思った。一方で、後輩たちは今、私たちの部活で最前線で戦っている。前線を退いた私なんかが勝てるわけがないんです。

それほど不利な状態でも、不思議と負けたくなかった。現役時代にかるたをやっているうちに、いつの間にか負けず嫌いな性格になってしまったらしい。そんな自分に内心苦笑しつつも、現役時代に戻ったように夢中になって激しくやり合い、今日まで続く筋肉痛を残してしまった。痛みの残る太ももをさする。壁には、かつて大会で3位入賞した時に受け取った賞状が飾られていた。


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