左ききのエレンが描く、青春っぽいリアル
主人公の一人である朝倉光一の姿は、思わず目を逸らしたくなる。
今働く若者からすれば思わず自分と重ねてしまい、こうありたいと思う反面、こうはなりたくないと感じる部分も多々ある。
今大人気の漫画「左ききのエレン」は本書のキャッチコピーにもある通り「天才になれなかった全ての人へ」送られる物語であり、この漫画の中に出てくるキャラクター達はどこか現実世界の人物と被ってくる。それ故の妙なリアルさが共感を呼ぶ一方で、漫画らしい青春と呼ぶにふさわしい展開には「こんなことあるのか?」と疑問を向けたくもなる。
ただ「こんなことがある」のだ。左ききのエレンで起こる出来事は、現実世界でも起こりうることばかりだ。たとえばコンペが獲れたのにも関わらず、会社の意向でメンバーからは外されてしまったり。中でも東日本大震災のくだりは、当時のこと鮮明に思い浮かばせる。
さらには光一の空回りっぷりには、世の若手社員にはとても共感できるのではないだろうか。配属初日やる仕事がない中「オレは今すぐ戦力になりたいんです…!」と上司や先輩に息巻く姿を見た時は、まさしく自分がこうだったと数年前を思い出していた。(自分は心の中で思っていただけだが)
他の同期が先に活躍してるのを見て焦る姿も、初の現場についていけずに悔しくて泣く姿も、まさしく世の若手社員そのものだ。
「左ききのエレン」には、このような青春っぽいリアルが詰まっている。そしてそのリアルに直面してしまった時に、どう乗り越えていくのか、何を思うのかまで書かれている。
岸あかりや佐久間威風に撮影現場をめちゃくちゃにされて激高する朝倉は、怒りをあらわにしたまま現場に向かっていく。朝倉を止める流川は「どうして大人になれん…!」と言い放つが、そこでスタイリストの窪塚が言うセリフは、プライドを持って仕事をするプロの言葉だと感じる。
「自分の仕事で怒ったり泣いたりしないのが、本当に大人ですか!」
またこの漫画で「天才になれなかった全ての人へ」送るメッセージとして一番強調されているのは、「僕らは何者にもなれない」ということだ。
若者が夢を持って社会に出て、やる気に満ちて会社に入社してくるのに、数年経てばその夢も色褪せていく。自分程度の力で世界は大きく変わらないし、自分は何者にもなれない。自分は持っている夢に対して、どこまでできるのか分からなくなってくる。
震災以降ずっと会社に来れなくなっていたみっちゃんは、光一にこう呟く。
「私達は無力で無名で、きっと何者にもなれません」
若い頃の夢は、それこそ世界に貢献できてしまうような大きな夢が多い。ただいざ働いてみると、そんな世界や周りのことなんて考えていられない。思った以上に仕事はハードで、自分のことで精一杯になってしまう。現に朝倉光一は新入社員から中堅になっても自分のことで精一杯のままだ。
しかしその朝倉光一の次の言葉に、自分は少し救われた気がしている。
自分の仕事は世界は救わないけど、それでも無力じゃない。
絶好調みたいな日もあれば、まったくもってダメな日もある。それでも微力かもしれないけど、誰かにとって助けにはなっているかもしれない。
この時のみっちゃんにとって、朝倉光一はそれこそ助けになる存在だったのだろう。そしてみんなそうやって精一杯になりながら、必死にもがいて働いている。
同じ様に必死に働いてきた光一と同期の朱音優子の退社の挨拶は、そんな社会を的確に表している。
少し大仰な言い方かもしれないが。
今日も誰かが同じように、戦っているのだ。
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