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自己分析ノート①家庭環境

小学校時代はいじめっ子→いじめられっ子
10代は反抗期、周りの目が気になる
20代はかまってちゃん&恋愛依存、周りの目が気になる
30代の今は周りの目が気になりすぎる

家庭環境が大きく関わっていると思うので、併せて書こうと思う。
娘には私のように育ってほしくない。自分のことを愛して生きてほしい。
親にしてほしかったこと、嫌だったこと、自分の性格など、いろんな方向からの分析。誰かの役に立ちますように。

家庭環境が特段極悪だったわけではないし、今両親のことを嫌いか?と聞かれると別に嫌いでもない。
たぶん、母親と私が、当時は本当に折り合いがつかなかっただけだと思っている。
でもそれは、自分自身が大人になってから自分の感情に向き合って、いろんな面から分析したからわかったことだと思う。
周りの家庭がうらやましかったし、今でもそう思うけれど、自分が作り出す環境は変えられるなと、今では思えるようになった。

3歳の時に弟がうまれた。以来「お姉ちゃん」になった私は、なにかにつけて「お姉ちゃんなんだから」という理由で我慢することばかりだっ
た。

弟ばかりにかまう母親に私を見てほしくて「足が痛い」と大声で泣き叫んだ記憶がある。
もちろん足はいたくない。だけど、「大丈夫?」と心配してほしかっただけ。抱きしめてほしかっただけ。
そうういえば抱きしめてもらった記憶がない。もっと小さい頃はあったのだろうか。あったと信じたい。
幼稚園ときか、小学生のころ、手を繋ごうとしたら、払いのけられた記憶は、ある。「やめて」といわれた。

母は私のことを見てくれない、きっと安心できなかったんだと思う。愛されていないという不安かな。
友達も、先生も、みんな私を見てほしい。気づいたときにはそんな感情があった。
私が一番がいい。家で安心できない分、外に求めていたのだろう。
だれか私を認めてほしい、私を一番にしてほしい。

話をゆっくり聞いてくれることもなかった。専業主婦の母はいつも「忙しいから」と言っていた。
小学校3年生の終わりに、進学塾に行くことになった。あれだけ勉強が嫌いなのに、まだ塾に…?
勉強は嫌いだけれど、「新しいことを始める」ということが好きだったので、最初は抵抗がなかった。家にいる時間が短くなるのもいいし。
山ほど宿題が出て、わからないことを母に聞くと、「はあ?こんな簡単な問題もわからないの?」と怒られた。
というか、母はいつも私に対して怒っていた。友達と遊ぶことも制限されたし、監視されるし、めちゃくちゃ怖かった。

宿題はやらなくなった。塾も辞めたいと何度も言った。
「あんたのためを思って塾に行かせている」という、まあ今ではわからなくはないワードを言われていた。

そのうち塾の先生から、私が全然宿題をやっていない旨の連絡が入った。
ある日帰ったら、部屋中ひっくり返されていた。母が荒れたのだ。引き出しの中も、ぜんぶひっくり返され、足を踏み入れる場所がなかった。
玄関を開けた瞬間に怒号が飛んだ。
なぜ宿題をしないんだ、こんなにお前のことを考えてやっているのに、お母さんの気持ちも考えろ、、、などを怒鳴りながら言われた。
そして【あんたなんて生まれてこなければよかったのに】母は泣きながらそういった。

そっか。そうやんな。私もそう思うわ。
友達は、お母さんと楽しくお出かけしたり、手を繋いだり、いろんな話を聞く。
うちの母は?話も聞いてくれないし、弟ばっかり。
いつも怒ってばっかりでなに?私、だって甘えたい。弟のように、可愛がってもらいたい。

そっか、母は私のこと嫌いなんやな。
実際、心の底から嫌いだったのか?とかそこまではわからなかったけれど、なんか、すっと腑に落ちた。そして、このころから私も母が嫌いになった。
そっちがそんな態度なら、じゃあこっちもそんな態度で。私はご機嫌を取るタイプではなかったようだ。それは違うと思うこと、おかしいことはハッキリと伝えるタイプ。だからこそ気に入らなかったのだと思う。
そうすると、「親に向かって何その態度!」とさんざん言われたが、子どもにならどんな対応してもよいと思っているのかこの人は。軽蔑すら覚える。

一度「どうしてあんたはそんな態度なん!」と言われたときに
「そっちがそんな態度やからやろ!!」と言ったことがある。
「お母さんが悪いっていうの??」とすごい勢いで言われたけど、うーん、どうだろう?それはわからなかった。
子どもに対して、というか私に対して、私だから見下して、何でも言っていいというのは違うと思うし。
でもそんなこと言ってももうこの人には伝わらないんだろう。
私という人間のことが、きっと何しても嫌いなんだったと思う。無意識レベルで。

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