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やりたい想いは逃げ道なのか。やさしさとどうでもよさと嫌いの感情を見つけた私で、根っこの部分を表現したい


「やさしいね」って言われたら、たいていの人は嬉しいはず。
そもそも「やさしさ」ってなんだろう。

誰にでも思いやりを持って接する
困ってる人がいたら助けてあげる
頼られたら嫌な顔をせずに引き受ける

そんな場面が浮かんでくる。

目の前にいるYano Yuikoさんは、少しためらいがちに、大事なものを差し出すように話してくれた。

「やさしいよねって、よく言われるんです。でもやさしいのは、どうでもいいからなんです」

「やさしい」と「どうでもいい」の意外な言葉の組み合わせに、一瞬頭が混乱した。と同時にYuikoさんの内側をもっと聴きたくなる。

言語化カフェのモニター募集の告知をしたら「自分の想いや考えを外にだしたい。第三者から見た自分のレポートを読みたい」と真っ先に連絡をくれたYuikoさん。事前に用意したメモに時折目を落としながら、想いを語ってくれた。

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Yano Yuiko 美大時代はアナログシルクスクリーンでの作品作りに没頭。美味しいもの、甘いものに目がない20代。


「嫌い」のカテゴリーが増えた社会人

2020年の抱負に、Yuikoさんはこんな言葉を綴っていた。

”自分の意見をもって、嫌なことは嫌だと言えるようになること。
なんだかんだいつも人に合わせて流されて、それで困ったことは今のところ一度もないけれど、中身のない人間にはなりたくないので、貪欲にいろんなものを吸収していきながら、自分と人を助ける力にできればいいな”

人に合わせても困ったことはない。
これについて、Yuikoさんはさらりと答えてくれた。

「多分、あまり何も考えていなかったんですね。誤解を恐れずに言えば、基本的に大体のことはどうでもいいと思ってるんです。どうでもいいって、大事にしていないとかではなくて、私がそこにあまりこだわりがないんだと思います。

よく、やさしいよねって言われるんですけど、やさしいのはどうでもいいからなんです。私にとってやさしいのは、プラスではなくデフォルト。好きな人にはもちろんやさしくするけど、その度合いが違うんです」

例えば、普通の人がどうでもいい人に対しては3のやさしさ、好きな人には8のやさしさだとする。Yuikoさんは、好きな人にはもちろん8のやさしさで接するけど、どうでもいい人にも5か6のやさしさで接する。どうでもいい人と好きな人の差が少ないから、周りの人から見たら「いつも誰にでもやさしい人」になる。

やさしくしておいたほうが、自分を平穏に保てるからといった理由はあるのだろうか。

「そういう要素もちょびっとはあります。でも基本的には何も考えてないというか。私のデフォルトが人から見てやさしいだけで、私自身はやさしいと思ってないんです」

それに気づいたのって、いつ頃なんでしょう。

「社会人になってからですかね。学生の頃から自分の考えが変わったとは思ってません。多分あの頃は、好きな人かどうでもいい人しかいなかった。社会人になって、いろんな人と出会う中で、苦手な人が出てきた。あなたのその振る舞いが嫌いですって、思っちゃう人が」

今までに出会ったことのない、自分の中の未知の感情。イヤって思わず表に出てしまう体験。新たな負の感情が自分のカテゴリーに加わった。どんな時にどうでもよくない、受け流せない感情が湧き上がるのだろうか。

「物事の納得感や、自分の存在意義を考えるとき、ですかね。頼りにされるのは嬉しいけれど、他の誰かができないことをしているはずなのに…って思う瞬間があります」

工房+カフェできっかけの場作りをしたい

2021年にむけて、Yuikoさんはこんなことを書いていた。

”去年と違ってようやく視線を上げる余裕ができた。
自分を大切に、身を軽く。大切にできない、されないものに執着しない。
真摯に向き合うものに応える”

「制作をしたいんです」

美大時代に学んだシルクスクリーンについて話す表情や声色は、マスク越しでもわかるくらいに、生き生きと楽しそうだった。

「シルクスクリーンは、一種の印刷方法です。メッシュ状の版に版画のように絵を作っていきます。デジタルでもできますが、私は5時間くらいかけて、アナログで版を作ってました(笑)大学を卒業したら、制作や活動の場がなくなってしまい、喪失感ってこういうことかって。

大学では作りながら飲食もできて、時間と場所に囚われず、自由に創作を楽しめた。そういう作業場というか、工房とカフェが合わさったような場所があったらいいなって。先生と生徒がいる学校ではなくて、学ぶ作業場。大学のイメージが強いです。よくスタバで絵の具で絵を描きたいなーって思うんですけど、ワクワクと想像が掻き立てられるような、真面目だけど、自由に創作できる空間を作りたいんです」

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工房+カフェを作りたい理由は2つあるそうだ。

ひとつは自分の活動の場がほしいから。シルクスクリーンの制作をしながら、仲間と繋がりたい。

もうひとつは、作る側の想いを知ってほしいから。

モノを作るモチベーションの揺れ動き。
制作物への価値判断。

絵やアートでなくとも、ケーキやお菓子など自分で何かを作る人であれば、必ずぶつかる壁。その壁を壊すためにも、買う側が作る側に立つ経験ができたら、と思ったそうだ。

興味を持って終わりではなく、作る側にまわれる場所。
体験教室のようにその場限りの思い出ではなく、その先に繋がりや奥行きの可能性が感じられる場所。
やってみて、面白いと思ったらまた来てくれればいい。
1つのモノが出来上がるまでの過程を経験してほしい。

「これって、どうやってできてるのかな。簡単にできそう!やってみたら難しい、でも面白い!そんな風に見えない部分を知ってもらえる、きっかけの場を作りたいんです」 

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”やりたい想い”は逃げ道なのか

「今は仕事が忙しくて、制作はほとんどできてないんです。でもそれは言い訳なのかもしれない。工房+カフェをやりたいって言ってるのも、今の自分に納得できてないから、逃げ道にしてるだけなのかもって。そうやって ”イヤだから”とネガティブなパワーで、無理に踏み出したとしても、いつかは電池切れになるとも思ってて。イヤだっていうその事象は、過去のもので終わっているから。人のためという理由がないから、ただの自己満足なのかなって、悩んでます」

Yuikoさんにとって、制作や作品はどういった位置付けになるのだろうか。

「私が作品で表現したいのは、本質や根っこ。人の根っこの部分ってなかなか変わらない。作品は自分の好みが反映されるから、自分の根っこの”好き”が作品に出てくる。その本質的な根っこの ”好き”も、そうそう変わらないと思います。でも表現の仕方は変わっていく。

大学ではアナログのシルクスクリーンをずっとやってきたけど、これから先は変わるかもしれない。私の内から外に出す表現方法は変わっていくと思います」

人間も同じかもしれない。

その人の振る舞いや人柄は、年齢や環境で変わっていく。
同じように、枝ぶりや葉の形といった外から見える表現方法も、その時の成長度合いや環境で変わる。
でも他人から見えない根っこの部分は、変わらない。

「いざ、工房+カフェをやるときに、応援してくれる人を増やしたいって思います。私の作品を好きになって、ファンになってもらえるように。今はまだ、外側の自分である人柄でしか自分を表現できてない。あの人の人柄は嫌いだけど、作品は好きって言ってもらえたら、私の根っこをアウトプットできたのかなって思います」

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多様な価値観。

今の世の中を表す言葉として、よく耳にする言葉だ。
そう、考え方は人それぞれ。人と自分は同じじゃない。

だから自分に聞くしかない。
自分にとっての譲れない本質、根っことは何か。
すぐに答えは出ないから悩む。

悩むのは悪いことじゃない。

足元を見つめて、その一歩をどの方向に踏み出すか。
決断する時間は、誰かではなく自分が決める。

それでいい。それがいい。

何をしたいのか、したくないのか。

自由だからこそ、選択できるからこそ、悩みは増える。

やさしさがデフォルトだったYuikoさんは少し変わった。
”嫌い”の感情と出会った。
負の感情と向き合うのはしんどい。でもそれは新たな自分の発見だ。

Yuikoさんの根っこの作品がみられるのはいつだろう。 

3ヶ月後か、1年後か、5年後か。
それは誰にも分からない。

だけど ”やりたい気持ち” を頭の片隅に置いてほしいと思う。

「ずっと学びたいです。いろんなこと全部知りたい」と語ったYuikoさんにとって、作品と向き合うことは、達成すべき目標ではないと感じたから。
叶えなくてはいけない夢でもない。

ただやりたい、表現したいという、人生のテーマだと感じたから。

写真:Yano Yuiko
文責:宮坂千尋

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