解像度の高い文章がもたらすもの。辻村深月さんの「傲慢と善良」を読んで
「違和感小説」。
そんなジャンルはないのだけど。
恋愛小説とか、婚活小説と呼ぶべきなんだろうけど。
誰かに勧めるなら「違和感」という言葉なくしては語れない本だと思った。
辻村深月 「傲慢と善良」
善良さゆえに滲む傲慢さ
「人生で一番刺さった小説」と帯に書いてある通り、ページをめくるごとに胸は痛くなるし、息が詰まりそうになるし、先が気になって夕飯の準備もままならなくなるほどなので、時間に余裕のあるときに読んでほしい一冊。
「傲慢と善良」というタイトルからも分かるように、日常会話ではあまり使われないこの二語がたくさん出てくる。
読み終えて思ったのは、私たちは、いや、少なくとも私は、傲慢さと善良さの矛盾を内包しながら生きているのだなということ。「善良さゆえに滲む傲慢さ」という言葉も印象的だった。
この本の文庫解説は、作家の朝井リョウさん。500ページ近い小説の解説を10ページで伝え切っているのが本当にすごい。正直読み終わった後は、この感情の振れ幅の広さと深さをどうやって落ち着けたらいいのだろうかと途方に暮れた。
だけど朝井さんの解説を読んで、やっと深呼吸できるようになった感覚がある。あまりにも壮大な物語を読んだ後は、何を言ったらいいのかわからなくなるものなんだと実感した。
そしてこんな風に、自分が落とし込めなかった感情や気づけなかった視点を示してくれるから、作者以外の人が書く本の解説を読むのは、すごく面白いなと思う。
解像度の高い文章がもたらすもの
よく「解像度の高い文章を書こう」と耳にすることがあるけれど、具体的にどういうものが解像度の高い文章なのかが、はっきりとはわかっていなかったように思う。だけどこの本のおかげで、ようやくそれが腑に落ちた気がする。
この「傲慢と善良」を読んでいると度々、「もうそこまで書かなくていいから!」と思う瞬間がある。それくらい鮮明に感情が伝わってくるから、まるで自分が体験しているかのように、痛いのだ。だから「もうそこまで書かないで!」と思ってしまう。
作中、主人公の男女の行動に「ん?」と思うことがある。「そんなこと、してしまうんだ‥」と感じるのは、自分が利害関係のない第三者の立場で読んでいるからだろうし、自分とこの人は違うという前提があるからだ。
そういう小さな違和感があったとしても、最終的にはまるで自分もこの本の主人公になったかのように作品に入り込めてしまうのは、なぜか。その答えは解説にあった。
あぁ、だからなのか。だからこんなにも自分の気持ちが揺さぶられるのか。
同じ経験はしていなくても、「その感情、私も味わったことあるよ」という気持ちが溢れてくるのは、この解像度の高さゆえだったのかと納得した。
解像度の高い文章がもたらすもの。
それは、自分の過去に向き合い、未来にどう活かしていくかを考えさせてくれる時間だった。
なくしたくない
正直読んでいて、気持ちの良い場面ばかりではない。自分の過去の傲慢さや、無知さゆえの善良さに今更気づいて、思わず天を仰いでしまったこともある。だけどそういうこともひっくるめて、読んでよかったなと思える小説だった。
自分が経験したことのないものや、経験したことであっても誰にも話していない出来事に、ふさわしい言葉を探すのは難しい。この小説はそれを疑似体験させてくれた。
どんな本に出合うのかは、どんな人に出会うのかと同じくらい大切なことだと思う。だから絶対になくしたくない。本を読む時間を。そしてこんな風に、何を感じたのかを言葉にする時間を。
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