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中学時代の委員長としての活動の話

こんにちは、これが97本目の記事となったすうじょうです。さて、今回は自分の経験や思いを語るエッセイです。内容は、約1週間ぶりに中学時代の話の続きをしたいと思います。私の中学時代の記憶について思い出しながら話していきます。これは、一応前書いたエッセイとつながっています。読みたい方はお読みください。

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これは、私が中学2年生の時の話。私が無事学習委員長になった後の話。生徒会として様々な活動をしていたが、その話はすでにしたので、今回は前回おいた毎月の委員長としての活動について話していきます。

委員長になるときに、前委員長が資料を引き継ぎ、スタートしました。ちなみに、我が中学校の学習委員会が当時行っていたことは、「自主学習ノート活用徹底週間」、「チャイム席コンクール」、「各期末考査の予想問題作り」を主にしていました。

それぞれ説明すると、自主学習ノート活用徹底週間は、学力向上を図るために週間中に毎日ノートを提出された人数を各クラスの委員に数えてもらい、それを集計したうえで学年ごとに各クラスの提出割合の掲示を毎日行っていました。チャイム席コンクールは、チャイム席というチャイムが鳴ったら席に着くということを徹底するために週間中に毎日チャイム席アウトの累計人数を各クラスの委員に数えてもらい、それを集計したうえで学年ごとに各クラスの提出割合の掲示を毎日行っていました。各期末考査の予想問題作りは、定期考査に向けて各学年の委員が各教科を分担して、各教科の先生と相談したうえで適切な予想問題を作成してもらい、それを各学年で印刷して毎朝、朝課題として数教科分配布していました。このような感じでこれ以外に、毎月定例で委員会を開き、活動の説明と確認、反省等を行っていました。また、運動会のときに学習委員会に割り振られた審判・記録・監査の仕事を行っていました。こう考えると、活動時の仕事の量が多い委員会だなと感じる。まあ、活動自体は過去に委員になったことがあるので、知っていましたが委員長は各活動の期間中、放課後に集計、結果入力などを行う必要があるので大変でした。

上に挙げた仕事は委員会としての仕事なので、実際私はこれに以前書いた生徒会としての仕事が積み重なっていて、振り返ると大変だったなと感じる。さて、上のことについて詳しく補足いていきたいと思う。委員会としては、年間の活動量が多く、かつ当時は啓発系の活動であっても活動内容が具体的にあったので委員にとっても大変な委員会だったと思う。個人的には、予想問題作りは楽しかったが、みながそうとは限らないだろう。色々と期限に迫られ、期間中は毎日記録を提出する必要があるのも面倒だ。

私の中学校は、若干荒れた公立中学校だった(それに関するエピソードはまたいずれ)ので、たまに問題が発生した。よくあったのは、毎日の記録が提出されていないことだ。しかし、これは結果が掲示されないことから担任の先生などが気付くので、ずっと続くことはなかったと思う。

委員長としては、結果を掲示するタイプの活動前の金曜日などに各クラスの委員に結果を入力させる用紙を準備して、配布物の棚に入れる。掲示用の大きな紙を用意し、全記録を書き込める表を書いておき掲示する必要がある。これは、コンピュータでA4サイズで作り印刷してもよかったのだが、模造紙のほうが大きく分かりやすいというのと前例の踏襲をしてこうなった。そして、期間中の放課後各クラスの結果と欠席人数を指定の提出場所から取り、集計していました。掲示は、自主学習ノート週間の場合は、27/30のように提出人数/出席人数を入力し、チャイム席コンクールの場合は各日のチャイム席アウトの累計人数を入力していた。予想問題作りは、委員長としての仕事は説明以外ほぼなく、基本的に各委員の責任のもとで行っていた。PPC用紙という紙にペンで書きこみ、それを学年の人数分印刷していた。

運動会の話は、ほとんど生徒会のときにしてしまっていたので、定例の話は説明以上のことは特にない。しいて言えば、毎回黒板に必要事項を板書しておく必要があったのが大変だっただろうか。残りは、生徒総会の話だ。生徒総会では、年間活動計画の承認と要望・意見への回答がある。生徒会は別として、ほとんどの委員会には基本的に要望は来ない。しかし、たまたま私の時は委員会に要望が来たので、その回答を行った。予行を行ったうえでの本番なので、さほど緊張はしないというかそのころには大人数の前で話すのに慣れつつあったので、特に問題はなかった。

さて、ここまで活動の大変さの説明を淡々と行ったが、感情のこもった話をすると、仕事にやりがいはありました。自分から進んでなったので、後悔も特になくこんなものだと思い、やっていきました。この経験を通して大勢の前で話すのに慣れましたし、生徒会活動と合わせて得たものはたくさんありました。しかし、反省点として副委員長とのコミュニケーション不足や仕事の分担がうまくいっていなかったと思っています。あまり分担できず、後継の教育が足りなかったな、と。まあ、そのような経験が今までなかったので仕方がないと言い訳を言うこともできますが、大きな反省でした。その反省として、副委員長が委員長として引き継ぐときの資料は、私の得意なまとめ力を生かして、これでもかというほど丁寧にまとめたWordを印刷したものを渡しました。迷惑だったかもしれませんが、これが当時の私にできた精いっぱいのことでした。

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以上、私の記憶を伝えるエッセイでした。では。

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