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6話_出発前夜のできごと

ある夜、扉をノックする音が聞こえた。
風の強い夜に、訪ねてくる人もいないはず…。

私は、いつも鍵をかけている。
じっとしていると、扉が開く音がした。
「すみません、、こちらmaaさんのお家ですね。
ただ引き篭もっているときいたので、話にきました。」

背の高い、鼻の長い老婆が、階段を上がってくる。
私は気配を感じながら、ただソファでじっとしている。
そちらを見なくても、その姿を感じ取っていた。
深夜テレビは、他愛のないトークと笑い声。
(本当、面倒臭い、、、、)
どこかで、いつかやってくるのを、私は知っていた。

「話すことはないです。ただここは私の居場所じゃないってことだけ。
ここじゃないところもわからないし、だから、、、ただいるだけです。
それとも失踪した方がいいかしら。」
2階に上がってきた老婆をみて、うんざりした。

「そうではないですよ。あなたがここじゃないって言い続けているので、
ええ、態度でね。話にきたんです。契約が違うと言いたいのですね。」
老婆は、当然のように向かいの椅子に座った。

「契約が違う、、、そうね、そう思っています。
こんな牢獄みたいなところ、何も物事が進まない。
可もなく不可もなく、時間や制限された自由が与えられ、
面倒な生活するっていうーあれね。
私、服を着替えたり、体を洗ったり、食べたり、太ったからって運動したり、
毎日こんなことうんざりなの。生活っていうのがうんざり。
この世界は、生きていくのに生活が必要でしょ。
肉体を持つって本当、牢獄。
任務があるのは知ってたし、そこは承諾したわよ。
でも、大半が生活で、大半がお金の持分に制限された融通の範囲で、、」
言ってる自分がばからしくなってきた。
多分、このばからしい自分が一番うんざりの根源だ。

「あー、そうでしたね、あなたの苦手なことばかりでしたね。
靴の左右もよくわからないし、服の表裏、前後ろも今でも間違えてしまう。
どう着ようとどうでもいいのに、外に出ると、、、ね。
正しく決まり通りにしなきゃって、毎日毎日神経を尖らせてますね。
それでは、出て行きたくなくなるのも当然です。
あなたは任務どころではなくなっている。」
老婆は共感を示しつつ、注意深く私を見ている。

任務っていうかなんていうか、
ここにくる時の大元っていうのかな、
なんかあった。
もうこんな薄ぼんやりで、覇気もない。

私は紅茶を淹れに立ち上がった。
しょうがないから、招いてない客人にもー。

「生活をやめてみませんか。
うんざりすることから、離れてみてください。」

何をいってるのかしらー。
余計、身体中が重くなる。
「バカンスでも行ってこいと?」

「ええ、まあ、近いイメージですが、、。
始まりはそんな感じかもしれませんが、
終わりは違います。
今まで通りじゃなく、、家に帰らない。
行ったら、どんどん行き続けるんです。」

「旅人?」
あれ、地面が揺れている。小さい地震だ。
老婆は、たいして気にもせず紅茶を待っている。

「ああ、そういう方がわかりやすいかもしれませんね。
定住せずに旅人してください。引き篭もるなんてもってのほかです。」

妙に腑に落ちるー。
私は、ここじゃないって言いながらここに居続けている。
嫌な気分だ。紅茶を持って、座り直す。
「でも、そんなお金、持っていないわ。自由の効くお金は。
それに荷物も煩わしいし、ガツガツした節約も私の人生には不要です。」

「決めてない人はそう言います。まず言い訳からね。
最低限の荷物でいいんです。
あなたがどんなでいても、周りの人は大して気にしていません。
あなたの価値は、周りの人と関係ありません。」
老婆は紅茶に手を伸ばした。

お腹の中で、何かぐるぐるしている。
「お金がなくて怯える自分は想像できるわ。
でも、何も起きないで命が終わっていくのは想像できなかった…。
本当は、強制的にいろんな物事が大きく変わっていくのは感じているの。
私は、今まで通り留まっていようとしてるのも、うっすらとは、、。」

「ええ、うっすらね。それだと今の流れでは遅すぎるので、やってきたんです。
あなたの感じている通り、変わっていくのが当たり前の中で、
”今まで通り”というのは、ないんです。」

内側から湧き上がってくる何かが、ぐるぐるとしている。
「自由が効くお金はないけど、全くなくはないわ。」

老婆は一息つきながら、
「旅人も現実世界でやっていくことです。
あなたの勇気とユーモアを、あなた自身が信じてください。
私は、あなたをずっと見守り続けています。
紅茶、いい香りだったわ、ありがとう。」

老婆は大きい体で私を抱擁し、突然音もなく消えていった。
私はまず手元の仕事を片付けにかかった。
明朝、始まりに向けてー。







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