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【読書日記】街とその不確かな壁 / 村上春樹

2023年5月22日 読了。

この本の感想を書くにあたって、どうしても自分語りを多く含む内容になってしまうことを了承いただきたい(自分の読書日記なんていつもそうだが)。

というのも、自分が生まれて初めて触れた文学作品で、未だ自分の中でオールタイムベストであり続ける小説が村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』であり、この『街とその不確かな壁』は「世界の終り」と寸分違わず同じ設定を用いた作品であるからだ。

村上春樹による「まえがき」以外に一切の情報を入れずに読み始めたので、「世界の終り」で描かれた「街」そのものがそのままの設定で出てきたことには驚いた。
後に「あとがき」を読んで知ったことだが、村上春樹は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を手がけるよりも前に『街と、その不確かな壁』という標題の中編を寄稿しており、それは本人が納得できずに書籍化されずお蔵入りのような形になっていたらしい。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でそのお蔵入りとなった作品をリサイクルするように復活させたが、それはまた別の作品として生まれ変わったもので、村上春樹としては『街と、その不確かな壁』という作品をちゃんと作り直したい思いが強く、今回の執筆に至ったのだという。

高い壁に囲まれ、金色の毛を持つ一角獣と影を持たない人たちが住む街で、「夢読み」として図書館に保管された「夢」を読む仕事をする……そんな世界が心の深い奥底、無意識下に広がっていて、現実の世界と、心の深くにある世界を繋いでいる。そういう設定が、「世界の終り」と同様に今作でも描かれている。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、「世界の終り」と並行して「ハードボイルド・ワンダーランド」という物語が交互に展開される。「ハードボイルド・ワンダーランド」は、機密を暗号化する「暗号士」の仕事をする主人公が、その機密を狙う危ない組織に追われるという、「世界の終り」とは全然異なる趣の話であるにも関わらず、その二つの話がどんどん繋がっていき最後には一つの話になる、というストーリー構成がとても面白い。

今回の『街とその不確かな壁』も、壁に囲まれた街の話と、高校生の主人公が恋をする「現実サイド」の話とが交互に展開されていくが、「ハードボイルド・ワンダーランド」のように全く異質の話を並べるのではなく、はじめからそれぞれが一つの話(街は主人公が恋する少女によって語られたもの)として、現実と非現実が重なり合って綴られていく。

自分は中学から高校に上がりたてくらいのときに『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読み、それはそれは衝撃を受けたものだ。国語の教科書や児童文学・ライトノベルを除けば生まれて初めて読んだ小説だったので、世の中にはこんなにすごい物語があるのか、と凄まじい感動を味わった。この体験が今の自分の感性の大部分を構築したのは間違いない。

そんな自分にとって、再び今作で「壁に囲まれた"あの"街」が登場したことには少なからず困惑させられた。
そして、自分の感性の金字塔である「世界の終り」を作者本人の手で書き換えられてしまうことに不安も覚えながら読み進めた。

しかし、結論から言うとそれは杞憂だった。今作で描かれた「街」も、美しくて寂しく、心の奥底にひっそりと存在する世界として変わらずにあり続けていた。

そして(元となった同名の作品はもちろん読んだことは無いが)、「世界の終り」で取り上げられたときよりこの深層世界の設定はより深く、そしてある意味でわかりやすく推し進められているように思う。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、切り離された自分の影と協力して「街」から脱走し、影を表の世界に送り出すシーンをラストに置いている。今作でも全く同じ展開が描かれるが、今作ではそれは第一部の結末として、第二部からその続き「影を表の世界に送り出した後の物語」が描かれる(世界の終りはこのラストがあまりにも素晴らしいので、その続きが描かれるというのは自分としては不安で仕方なかった)。

ネタバレとなるため続きの展開を詳しくは書かないが、影を自分と切り離すこと、壁を抜けること……そういった「街」の設定ひとつひとつが、メタファーとしてより実際的なところまでわかりやすく推し進められた物語になっていたと思う。

全体的な話自体はとても地味で掴みどころがなく、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の方がストーリーテリングの面白さは大きいと思うが、人の心の奥底で絡まった糸を少し解いてくれるような示唆を与えるところまで作品の世界観を切り拓いたのが今作であるように感じる。

物語の掴みどころが無いとはいえ、近いテーマの『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』などと比べると理解しやすく、馴染みやすいように個人的には思った。出てくる登場人物たちも魅力的で愛らしい。
はっきり言ってしまえばこの作品、自分はめちゃくちゃ好きだった。

ひとつ印象的だったセリフを取り上げたい。物語も終盤に近い場面の、主人公のセリフだ。

「孤独が好きな人なんていないよ。たぶんどこにも」

村上春樹『街とその不確かな壁』p.483

このセリフを以前にも村上春樹の作品で聞いたことがある気がするのだけれど、それは気のせいだったろうか?
これは村上春樹の作品における本質的な考え方だと、この本を読んで改めて気づいた。

村上春樹作品の主人公たちは一見、人付き合いが苦手で孤独を愛する者たちにみえるが、それと相反するように村上春樹の作品では「突然訪れる絶対的な別れ」というものがよく描かれる。
『ノルウェイの森』や、最近読んだ『国境の南、太陽の西』もそうだったし、『ドライブ・マイ・カー』が映画化して話題になった短編集『女のいない男たち』も、愛する者に去られた人をコンセプトに作られた一冊だ。
この作品においても、愛する人に去られて主人公がひとり取り残されるという展開が、最後の最後までトラウマとして尾を引いて描かれている。
(これは余談だけど、この作品で出てくるトラックに轢かれ事故で急死する子供のお話は、村上春樹も訳したレイモンド・カーヴァーの『ささやかだけれど、役に立つこと』を思い出してしまう)

孤独によって生まれた深い穴、そこから誰かを求めること、そこに触れようと手を伸ばすこと、そういった観念のようなものが村上春樹の作品ではずっと追い求めるように表現され続けていて、この『街とその不確かな壁』でも、これまでの作品によく出てくる概念や展開を使いながら、それらをより深い地点へ到達させた集大成的な作品とも言えるのでは無いか、と感じた。
今後「村上春樹読んだことないけどどれがオススメ?」と聞かれたらこの作品を一番に挙げるかもしれない。それくらい村上春樹が描こうと目指してきた世界が極まっていて、それでいてその世界の入り口としてもわかりやすいと思うからだ。
(過去の作品を再構築してでも同じテーマを描き続けることについては今作の作者あとがきに書かれた文章が痺れるほど素晴らしいのでぜひ読んでみてほしい)

『スプートニクの恋人』の感想にも書いたが、村上春樹の作品はメタファーを言葉で置き換えようとすると難しいが、感覚としてはとても共感しやすい観念を描いていて、そこがこの作家の唯一無二の魅力だと思っている。
(本人も、メタファーに対してこれはこういうことを表していると言葉で説明できるものはメタファーでもなんでもない、というようなことを川上未映子との対談で話していたと記憶している)
この作品もまた、意味はよくわからない展開こそあれど、多くの人が持つ孤独や寂しさといった何らかの感覚に共鳴しそこを優しく照らしてくれるものだと思う。

ちなみに村上春樹が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を執筆したのは彼が36歳のときだそうだ。自分はその頃まだ生まれていないが、今年で35歳になる。その歳に、自分にとって感性の原風景ともいえる世界を村上春樹が再度描いたというのはなんだか運命的なものすら感じてしまう。
物語の内容も、大人になった主人公が16,17歳の頃のかけがえのない原体験(でありトラウマ)を巡るもので、まさに自分が高校生のときに村上春樹の描く世界にハマってしまっていた当時の年齢に戻ってしまったような、そんな感覚にさせられる作品だった。

そういう意味ではこの感想は、最初に言った通りごくごく個人的な体験に基づく感想になってしまうのでここまで読んでくれた方には申し訳ないほど何の参考にもならないかもしれない。
でも自分にとって、またどこかでこの本を再読し、人生を振り返る瞬間が来るだろうと思わせる、そんな重要な一冊だった気がしてならず、そのことをどうしても書き留めておきたかった。


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