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【仕事辞めて25歳で大学受験した昔ばなし#1】ただの実話

こんにちは!ステ夫です。

【お断り】この記事を読んで欲しい人は
①20代半ば②自分は社会の底辺だと思う③周りの人が馬鹿だと思う
っていう人です。

つまり、過去の私です。

私は20歳まで保育とか介護の資格の取れる専門学校に通っていました。
しかし、実家の自営業(飲食店)がうまくいかず継ぐはめに!!
学校を中退して自営業に。しかし店が潰れました!!

ざっっっくりとした経緯はこんな感じ。おいおい色々あったのに3行にまとまったぞ。まあいいか

で!!家電量販店のインターネットの販売を始めました。
派遣ですね。〇〇電機行くとやたら突っ立ってるあの人たちです。
時給は1300円。シフト制。社会保険完備。

毎日、悶々としていました。

周りは馬鹿ばっかり。
話題はスマホのゲーム・ギャンブル・飲み会ばっかり。尊敬できない。
上司も将来ああなりたくないなみたいな人ばっかり。
正社員じゃないから好きな子と結婚もできない。
ああ!!もう!!みたいな

身体的な不利も。私生まれつき目が悪くて車の免許とれないんですよ。田舎暮らしでこれって致命的。詰んだ!って感じ(だと思ってました当時)です。

学歴も無い!!高校は偏差値50位の高校。ほんで専門中退だから高卒ですよね。資格もなーーんも無いわけです。パソコンちょっと使える位

で!!!そんな24歳のある日、そのフレーズが胸にささったわけです。


「いつやるか?今でしょ!!」by林修先生


これ。
いいですよね。忘れられない。
頭を殴られた思いでした。いい意味で。

いろいろ考えて、考えて

自分の人生のテーマが決まったんですよ。
「勉強したい。一生、勉強していたい。」と。

ささっていた言葉はもう一つあって
当時やってたのがインターネットの販売なんですけど、
会社がソフトバンクだったんですね。
そのトップ。孫正義社長の、

「脳みそが引きちぎれるほど勉強したが、引きちぎれなかった」

なんかね、ああ、そうか!引きちぎれないんだ!って素直に思いましたね。
もしも、自分が引きちぎれるほど勉強したらどうなるんだろう!!
見てみたいっす孫さん!!おれ、バスケがしたいっす!!

そして最後後押しになったのが、Amazon・楽天・価格ドットコムとかの台頭。実店舗でのインターネット販売業がずっと続く訳はないと確信したことです。
東京ならまだ分かりませんが、田舎では無理かなって。

で、

「よし、英検とって塾講師になろう。」

笑。いや、ナイスアイデアでしょう!!!

将来は独立して経営者!孫正義に、おれはなる!!本気でした。

ビジネス系の意識高い系の本も沢山読んで、経営・経済の専門家になったようでした♪ふっふっふ、私はこんなに沢山本読んだから頭いいんだ!

ちなみになぜ塾講師かって
①子ども好きで②林修先生に影響されて③自分も勉強したい
のでまあ、妥当ですね。うん。免許いらんし、正社員独立まで見れる。うん。いい感じいい感じ。
で、働きながら勉強スタート。英語は昔好きだったし、中学2年で準二級は取れていたのでまあそんなに難しくはなかったです。

で、取れました。あ、余談で、これ英検あるあるかわからないですが。

めちゃめちゃ簡単なんですよね。英検2級って。

6割ちょいとれれば合格だし、過去問とほぼ同じ問題しか出ないし、なによりライティング(W)なしだったから、
単語帳5周、過去問3周くらいで届く感じ。
いや、届くっていうか、試験当日「え、簡単すぎだろうさすがに」ってなるレベル。時間30分位余りますよ。寝てました。自慢じゃなくて、本当なんです。

さてさて、英検取れたので意気揚々と面接の申し込み!!
駅前の結構有名な個別指導塾に!
今年から僕は塾講師や!!えっへん!!
「よろしくお願いいたします!!」

面接会場は塾の教室。30人位座れる広さ。机やら椅子が前方に寄せられて「面接仕様」に。
そこに座ってたのは、2人の男
初老の細いダンディなおじさまちょいぽちゃ黒縁メガネのキツネ目の若手

「やる気はありますか?」
「あります!!」
みたいなやり取りを初老のおじさまとした後、

キツネ目黒縁メガネさんが質問する番に
さあさあ!なんでも聞いて!
「経営・経済の勉強をしているんですね」
「はい!!」
「社会人になってから勉強する人って少ないので、いいと思います」
「ありがとうございます!!」

ふっふっふ。やはり勉強家の私が魅力的なのかな??

「ところで」

「はい!!(なになに?将来の夢??それとも希望年収??)」


「経営と経済の違いは、なんですか?」


・・・

・・・はい?

え、すみません、もう一度。


「経営と経済の、、、違い」??
突然、なんのお話ですか笑

この質問、あれから8年経ったのに
いまだに答えが出てないんですよ。

面接は不合格。
後にわかったのは、あのキツネ目の男

「東大卒」だったんですよ。
林先生と同じ。東大。(学部は知らないけど

なるほど。そうか。これじゃだめなんだ。
いい大学出た人と、自分って、違うんだ。
こんなに違うんだ。

打ちのめされました
面接では何も否定的な言葉は浴びていません。
教えてもらっただけ。君、自分の頭で考えてないよって

「何も考えていない自分」

がそこにいました。ポツンと。小さい、小さい自分
これじゃだめだ。でも一体、何がだめだったんだ。

考えて考えて、考えました。

1週間後、私は
仕事を辞めて、大学に行こうと決意していました。

狙うは偏差値60位の、公立の経済学部。1本。
5月~センター試験まで、実質、(諸事情により)
期間は「半年」。みっちり勉強する。
やってやる。自分ならできる。
東大は無理かもしれないけど

無学から半年で偏差値60の大学合格すれば、
今度こそ認められるはずだ。

できなきゃそれまでの人間だってことだ。それで終わりでいい。

やってやる。できるさ。やってやる。
当時、
そう自分を洗脳してました。

一人暮らしだったのですが、親に実家で住まわせてくれと懇願。
貯金の60万円を親に渡し、ニート生活スタート。
本当に迷惑をかけて、ごめんね。

制限時間は「半年」。
不合格だったら泊まり込みのリゾートバイトで半年貯金してもう一度受ける(その時は医学部目指すつもりでした)、が親と決めた条件でした。

センター試験ってなんなのかよくわかってないような状態から、
予備校も通うお金はないので、参考書と過去問だけ
英検と同じように、実は簡単だろう!!と意気込んでました。


試験勉強期間中、
地獄の苦しみでした。
わからない。知らない。読めない。

英検とは違いました。
1日が長い。頑張っても、わからない。解けない。

また、同じ問題で間違えた。
情報を集める。勉強法を変える。
成果が、出ない。


試験当日。
これでもう終わるんだと、
なぜか、ほっとしてました。

試験終了。
母親に、「ごめんね。多分、落ちてる」
と伝えました。「がんばったじゃない」と励まされました。
ネットで、どこのリゾート地がいいかなと探し始めました。
草津がいいかな、みたいな。温泉好きだし。

合格発表の日。
落ちてるとはいえ、
一応、アイパッドで合格者の番号をチェックしました。
あるわけない、
ん、あれ、あった。同じ番号
ん?同じ番号?

「・・・あった!!!受かってるよ!!!!」
「ええ????」


おめでとう笑。当時の私。
ここに、おじさん大学生が誕生したわけです♪

(つづく)

ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。
社会人になって学び直しをしたいという方の
勇気に少しでもなれたら幸いです。

是非、一緒に勉強しましょう!楽しいですよ♪