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私が記事を書く理由(私が記事を選んだ理由)

自分はなぜ記事を書くんだろう。

毎日パソコンのキーボードを恨みでもあるのかってくらいに叩き続けて、誰が興味の有るか分からない自己紹介やら思想めいた事を書きなぐる。

自分はなぜ記事を書き始めたんだろう。

思い返せば辛くて仕方なかった(今でも十分辛いけど)あの時っていうのは20代半ばから30歳くらい。一般的に人生で最も楽しいと言うか、充実しているというか、若さと経験が織り交ざった、とても充実した時間なんじゃないかと思う。そんな時を私は、デパス(精神安定剤)とお酒で誤魔かしながら、「明日はもう無理だなあ」なんて愚痴りながらギリギリな日々を過ごしてきた。そんな中を諦めずに進んできた自負と同じくらい貴重な人生を無駄にしたんじゃないかという後悔の念が押し寄せる。

自分はなぜ記事を書くんだろう。

そんな過ぎ去った時間に意味を持たせたくて、必死にもがいたあの時を。必死にあがいたあの瞬間を。誰かに知ってほしくて書くのかもしれない。正直、こまごました事というか何かをコツコツ続けることは得意だけれども好きではない。得意と好きってぜんぜん違う。それでも記事を書くことを選んだ。自分で選んだ。

それならなんで記事にしたんだろう

誰かに何かを伝えるだけなら文字じゃなくても良いはず。それなのになんで記事という形式を選択したんだろうか。私は昔から国語が好きだったけどそれとは多分関係ない。対人恐怖症で苦しんだ時、正直テレビすら見るのが辛かった。人が好き勝手話しているし、楽しそうだし。だから本を読んだ、本は私が読むまで黙って待っていてくれるし、嫌になっても追いかけてこない。とても優しくて、安心できて、それでいて頭がいい。

だから記事にしたんだ

この記事を書いていてわかったけど、文字って本当に優しい。自分はその優しさに、知識の力強さに救われたから。そんな優しい媒体を通して、何かを伝えたくて記事を書いているんだと思う。

最後に

正直この答えが正しいかなんてわからないけど、いつか分かる気がする。noteを書き続けていれば。

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