虫、巣と集る
首筋に何か軽いモノが引っ付く、
「虫か。」
掴むと、角張っている。無造作に投げ捨てるにせよ既に嫌な予感。放り投げるとカーブを描いて天井飛んで空気の排出口にピタリ、カメムシ。
親父殿の哀れな趣味と、僕の青春削いだ病気疑いにて旅行させられた自己啓発セミナー施設で大量に嗅いだあの匂いが首筋に残る。新潟県湯河原町論法、というかずばり #田中角栄 言の模倣みたいな講習を泊まりで聞かされる…。つくづく役に立たなかったな、
まーそのー…自分が持ち上げれているほど偉くないと、最上段に偉そうにふんぞり返りつつ説く矛盾の講釈。講習後に苛ついて廊下の隅に大量に固まっているカメムシなんぞ潰すとさあ大変、消えないアンモニア臭。
宗教でも宗教じゃない主張でも、政党支持団体でも非常に厄介、好む人間の下心、アンモニア臭。
次に早朝街灯に集っていた老年の蝉、突如俺の顔に突撃する。払えば、少々飛翔して力無く腹をみせたまま、コンクリートの上に横になってみせる。セミファイナル、最早死を待つのみか。憐れみも無し、どうせ人類が滅亡しても暫くは地表の数年と羽化での騒音の暴走族暮らしで滅びぬ輩。朝も夜も勘違いして壮大に騒ぐ。羨ましくも無いがそれが既に、潔ぎ悪い経年の白髪混じりの頭髪に日光が虚しく光らす我の頭部の思考。長生きの恥の多きこと…。
夕刻、蜘蛛が集ったかと思い払えば、ガッシリと掴む感覚。二本指で丁寧に引き剥がす、メスのコクワガタ。思えば、意識せず夏の市井に見るクワガタはメスばかりである。正に今の混世の世の体現か、角の生えた”配慮の有る”現場職員、販売者、管理職は野外で見かける例も少し。
世の確変を語る角の生えた評論、論説者と同じく、涼しき知らぬ遠きの森や、養殖施設に伏すとも思ふ。
しかし、水増しの喫緊はついに愛想の無いメスの接客業者も増えた印象。不機嫌なままガッシリした節足で、僕に取り付く、見返りも払う気失せる。不労者の樹木の蜜の主への従順、誘いをひたすら繰り返す。
縁なきも湿気は虫からの求婚、猛火は人肌過剰に焦がす涅槃への誘いか。
そんな中、久々に蝿、適温の夜にたかる。穢らわしきの代表者が、今や藪蚊以上の贅沢、快適にしか顔を出さぬとは。ただ殲滅の為殺虫剤を持つ。
#ルドルフ・ヘス の言葉浮かぶ
「生きているのではない、生かされているのである。」
飛んで火に入る夏の虫、いちばんに罪作りなのは二酸化炭素でも工業のそれの排出口でも無く、人間の臓器廻す際の熱である。げに害虫その死骸、腐敗するを最も好む。
#振り返りnote
#ポケモンへの愛を語る 初代のキャタピー
がスピアーに成ったくらいしか知見が無い、虫ポケモンにすら興味のない自由研究やら、昆虫博士への憧憬の無さよ…。
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