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#130:年賀状と関係性

時節柄、年賀状の話題をnoteの至るところでも見かける。それに加えて、最近は年賀状終いや終活年賀状というワードもよく見る。

年賀状準備争いの軌跡

独身時代はあまり年賀状にたいした思い入れもなく、書いていたかさえ記憶が曖昧である。

それが元郵便局員の娘である妻と結婚してから事態は一変した。まさに師走でバタバタしているこの時期、年賀状の準備を巡り必ずひとつは大きな喧嘩をするのが恒例だった。

私は相変わらず年賀状への思い入れもなく、仕事や家事育児でバタバタする日常にかまけて、隙あらば出し忘れてもよいくらいのスタンス。

一方で郵便局員のDNAか、妻の年賀状に対する思い入れは強く、ただ準備するだけでなく、写真へのこだわりや元日に届くように出す使命感など私とは真逆。お互い全く噛み合わない。

しかし、夫婦となったからには一緒に年賀状を準備するしかない。司令官である妻と宛名印刷を担う私。なかなか進まない私の作業に対して毎年何度も司令官から容赦ない叱責が飛んだ。

そのような繰り返される争いの末、結婚生活も10年を過ぎると、一転、年賀状準備はスムーズに進化をとげた。写真準備は12月頭には終え、宛名印刷も今年はPC→スマホアプリ移行する等事前作業は少しあったものの、プリント自体は約10分でサクッと完了。ひと言メッセージも、夫婦共にあっさり15分で書き終わった。

この瞬発力と集中力は、過去ウダウダと時間をかけていた頃からすると見違えるものである。まあ子供も大きくなり、30代という仕事の最盛期も過ぎたので、正直、この時期も以前よりは余裕がある。毎年行う年賀状の準備を通じて、そういった生活の変化も感じながら準備した。

我々の年賀状を巡る争いはこのように、かなり平穏な状態に向かっている。

年賀状の終焉と緩い繋がり

平穏になっただけでなく、最終的には年賀状をお終いにするかどうか我が家も話をしている。

これまでも年々、年賀状の枚数が減っていた。高齢の親戚から返ってこなくなったり、お互い関係性が変わって疎遠になったり、もしくは、日頃からLINEや他の連絡手段でやり取りする近さの人とは必ずしも年賀状は要らなかったり。

当初は夫婦2人で最低でも80通以上だったが、今年はついに40通を切った。そして、あれほど年賀状に思い入れのあった妻の方から、来年あたりで年賀状をお終いにするのもアリかもね、と投げかけてきた。

そして、世の中でも同じような話題。我々夫婦だけでなくて、周りも同じように年賀状の意義を改めて考え直しているようだ。



とはいえ、妻には未だちゃんと言ってないが、私自身は年賀状終いについては、あえて明確な区切りをつけなくても良いかと思っている。

ひとつは先程の通り、昔よりだいぶ落ち着いて手間なく年賀状を準備できるようになった点。

もうひとつ理由としては、年賀状でのやり取りのような緩い繋がりが、実はなかなか大事なのでは、と思うようになったからである。

これまでは何も考えず習慣として年賀状をやり取りしてきたが、かろうじて年賀状で繋がっている人たちもいる。その人たちとは過去に交流はあったが、現在では、色々な理由で関係性が薄くなってしまい普段の生活には登場しない。

これまでの忙しい我々は今の日常生活に影響が少ない人たちとの繋がりについて、なるべく手を抜こうとしていた。その方が何だか効率の良いような気がして…。そしてより疎遠になる。

必死にイマを生きれば多少仕方ない面もあるがふと立ち止まって考え直すと、ヒトとの関係性において効率って何だろうと思う。果たして、我々は効率の良い相手とだけ交流していけば良いものだろうか…。

最近思うのは、私たちのイマは、年賀状のやり取りも含めたあらゆる緩い繋がりの人たちとの積み重なりで、そこで培ったもので構成されているのではないか、ということ。

少なくとも年に一度そういうことを思い出して感謝したり言葉を交わしたりするのも良いし、改めて関係性を繋ぎ直すのも良い。目前にあるイマに囚われ過ぎている視点を少しずらして、遠くの空をぼーっと眺めるように。

そうやって、またイマの人たちと今後も繋がる緩い関係性を積み上げるため、新しい年を迎えたら、またイマに目線を戻して必死に生きれば良いかなと。今はそういう心境。

なので、我が家はこれからも当分の間は年賀状終いはしないと思う。

長文をお読みいただきありがとうございます。

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