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#133:溢れる感覚

2ヶ月以上noteの更新は途絶えていたが、最近復活して数日連投してます。特に意識せずただ書きたい時に書いているものの、何かしら傾向はあるようです。

書けない時の傾向

8月にコロナ罹患し、それから少し間が空いて10月に咳喘息の診断がおりた。直接的な後遺症ではないと言われたものの、恐らくキッカケはコロナで、それが咳喘息になったのだと思う。

いきなり深刻なトーンの書き出しに見えるかもしれないが、よく咳込むものの、ほぼ日常生活にはほぼ影響のない程度だったため、私として咳喘息に対してシリアスさはなかった。

ただ明確な体調不良が2〜3週継続し、診断まで正体不明だったため、正直居心地は悪かった。それに伴い、インプット(読書等の読み物)もアウトプットも滞った。健康面で支えがないとコップの底が抜けているようなもので、気力がでないせいか割とはっきり使い物にならない。

インプット不足

咳喘息の治療は吸引の薬が処方されるが、これは効果が絶大。吸引始めてすぐに症状は改善。(吸引はしばらく続ける必要があるようだが)

症状が落ち着くと、なぜか自然と本が読みたくなった。空っぽだったコップに少しずつ水が溜まる感覚。だが、まだ何かをアウトプットするほどではないようだ。全く書くこともない。

どうやら本のインプットだけではコップは満たされないようだ。本以外にもニュースや雑誌の記事を読み、日常の中で仕事以外の会話を交わすことにより徐々に水が溜まってきた。

そして、ある日突然、水が溢れる感覚となる。なぜだか自然体でnoteを日々書くモードになっている。(ある日またふと止まると思うけど)

改めて整理すると、本だけでは、コップの水が溜まらなかったことが今回の気付きである。本だとインプットの種類が足りなかっただけかなと思ったが、それだけではなさそうである。

恐らくだが、本を読んだだけではアウトプットしたくなるような「澱(おり)」が溜まらないことが理由のようだ。端的に言うと、noteに書きたくなるほどの「モヤモヤ」が足りない。

本から摂取する情報だけでは感情を揺さぶってモヤモヤすることは稀である。どうやら「澱」が溜まるには、モヤモヤする場面や感情、会話などのキッカケとなるようだ。

人との関わり、実体験によるインプットにより摩擦や化学反応があり、モヤモヤのタネが生まれる。そして、それらは徐々に他と繋がったり醸成/発酵した結果、ある時に溢れ出す。

そういう澱も大概数日吐き出せば一掃される。そろそろストックはなくなっているので、また溜まってきたら書き出したい。

長文をお読みいただきありがとうございます。

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