2~3日くらい前、ある組織風土改革セミナーのチラシを目にした。そこには「理念浸透」「定着率アップ」「次世代リーダー育成」など、流行りのワードが並んでいた。 このチラシの個々のワード自体が間違っているとは思わない。ここに並ぶ効果効能はどのような組織でも必要とするものだ。実は間違っているのは、これらのワードを組み合わせることによって経営者が解決しようとしている課題の方にある。 自組織で働く社員さんのことを「従業員」と呼ぶように、かつての常識は組織の側が ”主” で、働く人間を
生産性向上と言えば、真っ先に「効率化」を思い浮かべる人が日本には多い。しかし「効率化」はあくまで生産性向上の側面の一つに過ぎない。ながらく「生産性向上≒効率化」のように考えてきた日本においては、今さら「効率化」を考えたところで、乾いた雑巾を絞る程度の効果しかないケースも多いように思う。 今日は生産性について考える以前の問題として、マネジメント体系のそもそもの成り立ちから考えてみたいと思う。 マネジメントとは言葉である マネジメントは言葉によって出来ている。 「こんな基
20年ほど前から「格差社会」という言葉をよく聞くようになり、ここ数年は「親ガチャ」などという言葉も耳にする。世界に目を向ければ、ここ数年で一気に進んだグローバル秩序の危機や、アメリカ大統領選挙におけるトランプ氏の台頭なども、元をたどれば「格差」の問題にたどりつく。 ドラッカーによれば、格差問題とは「格差」そのものに関わる問題だけでなく、「階級の固定化」に関わる問題が絡むと言う。ドラッカーは1969年に出版した『断絶の時代』においてすでに、グローバルにつながる一つの情報圏にお
日本において「生産性向上は戦略的に取り組む必要がある」という基本的な観点が抜け落ちている点は前回指摘した通りだが、今回はなぜそれをドラッカーをベースに解決しようとしているかについて書いてみる。 ドラッカーは古くなったのか? ご存知の通りドラッカーは「マネジメントの父」として知られており、いまだ日本でもファンは多いものの、古典に分類されており時代遅れだとする人もいる。ドラッカーが『現代の経営』でマネジメントを現在の形に体系立てたのが1954年。すでに70年も昔の話だ。 ド
時の総理大臣が「2020年代に最低賃金を全国平均1500円にする」と言い始めた。最低賃金を上げていく流れは10年以上も前から続いており、この流れは「すでに起こった未来」だと以前も書かせてもらったが、この流れが急激に加速した。 (↓↓↓ 以前公開した記事 ↓↓↓) 私個人としては、最低賃金上昇の流れには大いに賛成している。しかしこれを2020年代末までに実現するのは、あまりにも影響が大きいと感じる。とはいえ、一度言い始めてしまった以上もはや政権与党が変わろうと変わるまいと、
イーロン・マスクが、在宅勤務を「道徳的に間違っている」と批判したと言う。個人的には彼の道徳観念が一般的だとはあまり思えないが、コロナ禍で広がった在宅勤務という働き方に対して、経営者やリーダー層が感じている課題意識を端的に示すものだと感じながら、その記事を読んでいた。 動き始めてしまった時代の流れを逆流させることに成功した人間は、これまで歴史上ひとりもいない。 「仕事は職場でするもの」というかつての常識は、すでに過去のものになりつつある。先日の記事でも書いた通り、日本では新
ロシアがウクライナを侵略して15か月以上が経った。絶対に起こるはずがないと思っていた事が起こると、人はその理由を探したくなるものだ。 トゥキュディデスの罠や、地政学など、さまざまな角度から論評する方はいるが、ドラッカーのフレームから現在目の前で起こっている社会構造の変化について書いている記事はあまり目にしないので、今日はそんなテーマで書いてみようと思う。 歴史の「継続」と「断絶」 一般に「マネジメントの父」と記憶されることの多いドラッカーだが、ご本人は生前自らを「社会生
この世界は、人々の認識にが生み出すパラダイムによって形作られている。後々振り返ったとき、今日という日はそんな認識の変化の起点となる1日になるだろう。 ようやく2020年から3年以上続いたコロナ禍が終わった。 もちろん、ウイルスが無くなった訳じゃない。 けれども、3年前には未知のウイルスだったものが既知のウイルスとなり、法律上の定義が変更され、これからマスクをする人は徐々に減ってゆき、やがて時と共に過去の記憶となる。 そんなタイミングの今日だからこそ、コロナ禍を経て起こっ
つい先日、ふと近所のコンビニの入り口に貼ってある求人ポスターに目を遣ると、アルバイト募集の時給が1,200円を超えていることに気が付いた。 我が家は横浜の片田舎、「じゃない方の横浜(笑)」なんて呼ばれている地域にある。窓からはウグイスの鳴き声が聞こえ、近所を歩けば野生のリスに遭遇し、少し歩けばホタルが生息する小川があるような場所。そんな地域でも、アルバイトの時給は結構上がってるんだな~と、改めて感じた訳だ。 ちなみに私が高校生の頃は、コンビニの時給は680円スタートくらい
以前も書いた通り、ドラッカーのマネジメントを学び始めて12年になる。2013年にその道のプロフェッショナルになることを決意し、それから9年の月日をかけて学びと実践に時間を投下し続け、昨年ようやく1万時間を突破した。 これだけの時間を投下して分かったことは、マネジメントは理解の対象ではないという事だ。「あれをすれば、こうなる」のような、単純明快な話ではない。もちろん一つ一つの要素を学び身につけることによってマネジメントの質が高まることは言うまでもないが、そもそも「理解」という
前回の記事で、共創が生まれる条件の1つとして「実現したいことが明確であること」を挙げた。つまり"共通の目的"が明確であるとき、知識の結合が起こるということだ。 この"共通の目的"の種を見つけるべく、先月から運営をはじめたバーチャル・コワーキング・ビレッジで「それぞれの専門領域から見た、新しい種類の社会課題は何か」を収集し、それを研究会として学びの機会とすることにした。 ドラッカーは、未来を予期することはできないが「新しい現実」「すでに起こった未来」を体系的に観察することで
近ごろ「メタバースの終わり」的な記事を目にすることが増えた。メタバース万能論者たちが起こるはずもない未来を熱く語る狂信的なブームが過ぎ去ったので、逆に今がちょうど良いタイミングかな?と思い、先月からメタバース空間上で「完全紹介制のバーチャル・コワーキング・スペース」を始めてみた。 テクノロジーが好きな人は派手な”3Dメタバース空間”を好むけど、そもそも仕事をするのに派手な3Dは必要ない。「会議室にたどりつけずに〇名遭難した…」みたいな話さえ聞く。そんな場所で仕事をできるはず
「制限をはずして何かを書いてみたい」 ふと、そんな考えが浮かんでnoteに登録してみた。 かれこれ12年ほど、P.F.ドラッカーの著作から学んでいる。いつしか読書会ファシリテーターとしての活動は400回近くを数えるまでになり、講師として、経営コンサルタントとして、マネジメントを伝える立場になった。 専門家になってしまうと、自分にとっては普通の話が、相手の理解を簡単に超えていく。相手が理解できるよう、できるだけ簡単に、平易な言葉で、わかりやすくを心がけているうちに、気がつい