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マネジメントとは何なのか? 1万時間かけた現時点の答えを書いてみる

以前も書いた通り、ドラッカーのマネジメントを学び始めて12年になる。2013年にその道のプロフェッショナルになることを決意し、それから9年の月日をかけて学びと実践に時間を投下し続け、昨年ようやく1万時間を突破した。

これだけの時間を投下して分かったことは、マネジメントは理解の対象ではないという事だ。「あれをすれば、こうなる」のような、単純明快な話ではない。もちろん一つ一つの要素を学び身につけることによってマネジメントの質が高まることは言うまでもないが、そもそも「理解」という概念でマネジメントを扱うこと自体が不可能だったということを、1万時間かけて理解したという感じだ。

それは例えば、「愛」という概念に似ている。どれだけ学び修練したとしても、生身の人間が「愛」の理解に到達することはない。同様に、組織という生命・精神体を扱うマネジメントも、完全なる理解など存在しないことを前提に、実践の対象として修練によってその能力を高めるべき対象だということだ。


なんて話だけで終わってしまうと、マネジメント上の課題を何とか解決しようとしている人に、ただただ絶望感だけを与える感じになってしまうので(笑)、そろそろ本題に入る。

実は、マネジメント能力を身につけるのに時間がかかり過ぎることに関しては、私自身も課題意識を感じてきた。私の脳ミソの問題は多分にあるにせよ、それでもやはり習得に時間がかかり過ぎる。

とはいえ、人間の能力そのものを飛躍的に向上させることは難しい。たとえ1万年後の未来人であっても、能力を身につけるスピード自体は、2023年を生きる我々とさして変わらないだろう。


そもそもマネジメントとは、①人間の能力(働き)であると同時に、②客観的な機能(仕事)でもある。

これまでの日本企業では、どちらかと言うと①の側面が強調されることが多かった訳だが、先日の投稿にも書かせてもらった通り、今後マネジメント人材が不足するようになると、従来の「マネジメント=人」とみる①の概念では、日本中の組織がマネジメント機能不全に陥る。

人材不足という「すでに起こった未来」に対処するには、労働集約型マネジメントの元凶となっている①の考えを捨て、②にシフトする必要がある。マネジメントすべき対象の総量は変わらずとも、より少ない人材でマネジメントを機能させれば、結果としてマネジメントの効果性は維持される。(人数が減る分、マネジメントの生産性は高まる)


②の視点からマネジメントを再構築するに当たり、われわれは「結局マネジメントとは何なのか?」という原点に立ち返らなければならない。

全体を網羅しつつ最小の要素でマネジメントの仕事を再分類すると、その機能は以下3つに仕分けすることができる。
(1)起こすべき変化を定義する
(2)活動と資源を生産的に配置する
(3)人間の能力とエネルギーを最大化する

これら3つの領域の活動を機能させることが、「マネジメントとは何か?」に対する、私のいま時点の答えだ。

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