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Book Review.01 "流浪の月"

「昔は良かった」とぼやくのは簡単だ。
それは、そのために人は特別な労力を必要としないからだ。
ぼやく者にとって特別な検証も必要がないし、特別に高尚な考えを持っている必要性もない。そのためか、このノスタルジーに満ちた懐古は、インターネットや実社会のそこここで、まるで慰めのように繰り返されている。

果たして現代人は不幸なのだろうか。”昔”と比べてテクノロジーが発達し、大きく利便性が向上した現代に生きる喜びは、どこにもないのだろうか。
そう考えたときに思い出したのは、数年前の夏に見た、ある学生のインスタレーションだった。そのインスタレーションは、デジタルネイティブとして生きる苦悩や、テクノロジーの時代に生まれた恨みで構成されていて、私の心をずいぶんと揺さぶったものだった。

確かに昨今のニュースに流れてくるものには暗い話題が多い。それがSNSなどのインターネットに近ければなおさらだ。
ネットリンチ、誹謗中傷、同調圧力……触れないように気を付けていてもなお背後に迫ってくる、窮屈で息苦しい社会の負の側面。家で一息ついているときに、見知らぬ人の暴言がふと目に入ってしまって、胸のつかえが取れなくなるというのも大げさな話ではないだろう。

しかし混沌とした社会には、確かに光の射す隙間がある。混沌が混沌を一時的に支え、息苦しさが自助を呼ぶ仕組みが成り立つからだ。
本作はその隙間から、更紗や文のような、孤独で寄る辺のない人間に光を照らしている。その光はもしかすると頼りなく、しかも夜にのみ降り注ぐ月の光であるのかもしれない。ただその繊細で美しい光も、(月並みな表現になってしまうけれど)空を見上げているものにしか見られない。

”流浪の月”はそんなか細い光を決して捨てることなく生きる、周縁のひとびとの物語だ。彼らは弱く、傷ついていて、器用には生きられない。その不器用な人々に、あるいは彼らの傷つきやすさに対して、社会は一切配慮をすることがない。更紗の幼少期に訪れた誘拐事件、事件に関する一連の報道、それらがインターネットで拡散されてしまうこと、人生の様々な場面であらゆる人間に過去を詮索されること、そのどれもが人間の心の無遠慮な部分だ。

現実においても同じだが、社会や世間というものは、目に見えない概念としてよりも、むしろ社会に拠り所を見つけることのできた多数派の姿を借りて障壁となることが多い。
その悪意の雨を避けるために、傘を差さねばならないこと自体が不条理だが、不可逆で不条理な状況に置かれて取り得る選択肢はそう多くない。
作者の丁寧な描写に導かれて、読者は読み進めるごとに登場人物たちに感情移入し、不満や怒りといった感情が自分のことのように感じられる。
そして負の感情が嵩を増すのに比例して、”弾かれた者たち”が支えあって生きる様が切なく、しかし尊く美しく見えてくる。

何より美しいのは、優しく繊細な筆致をもって”弾かれた者たち”に寄り添う作者・凪良ゆうさんの姿勢だ。元はボーイズラブの作家であったというが、そういった経歴や作品作りにおける経験が、作中を漂う「マイノリティへの慈愛」とも呼べるような独特な質感を生み出しているのだろうか。

不穏な均衡を保って進んできた物語は、佳境を迎えるころに収束し、一本の線へと変わる。それはひとさじの魔法のようでもあり、デパートのラッピングコーナーで出会う熟練の技のようでもある。瞬く間にするするとことが収まり、はじめから何の問題もなかったかのように焦点が明確になるのだ。その時、感情移入することによって生まれていた負の感情はすっかりと消え失せて、後にはほとんど温かいものしか残らないはずだ。
そしてこの本を読み終わる頃、文と更紗のためのシェルターであったはずの物語が、いつの間にか読者のためのシェルターでもあったことに、きっと気が付くだろう。

(凪良 ゆう『流浪の月』 東京創元社 2019.08) 


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