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意見や感情に正解不正解なんて無いんです。

またまた山の写真です⛰ ご来光綺麗だったなぁ。


今日は、正しいことをしなければならない、という鎖に囚われていることに気づいた話をします。


だいぶ前に、初めてコーチングを受けたときの話です。ハッキリとは覚えていないのですが、何か意見を聞かれて、回答をしました。その後に「答え合ってますかね?💦」と付け加えたことを鮮明に覚えています。


自分の意見や回答が正しいか、正しくないか。今思えば、正解か不正解かという2つの基準があって、正解でないとダメなんだというマインドがあったのだと思います。

でも、本当は自分の意見や気持ちに正解なんてないんですよね。


それなのに正解かどうかを気にして不安になったのは、「こうあるべきだ」「こうあらねばならない」みたいな、無意識下で作り上げた優等生像を追い求めていたのだと思います。


それは私の気質かもしれないし、育ってきた環境がそうさせているのかもしれない。


特に日本ではルールというのが他国より厳密にありますよね。体育では学校指定の体操着。校則では髪色が決まっていたり、靴下の色に指定があったり。

いざそれを守らないとなると、すぐに怒られるという、いわば「こうあらなければならない」ということが決まっていたりします。


学校の規定、本当大嫌いでした。笑
色々なお洒落をしたい年頃だったので….笑

そのような環境にずっと浸かっていたら、嫌でも思考が「正しくあらなければならない」ことに引っ張られるのは至極当然なことなんじゃないかなぁ。

だからこそ、自分の意見や感情にまで「正しさ」を求めてしまう。求めているつもりはなくとも、自然と、無意識下で、求めてしまう。


そのマインドがあると、一体どんな弊害があるか。色々あるけど、例えば「正しいことをしていかなければならないというプレッシャーが精神を蝕む」

自分の意見、間違ってないかな??と不安になったり、
この感情って、世間と違うかも。何かおかしいのかな…..と思ったり、
自分が思っている正しさからそれた行動をするとき、自分をひどく責めてしまったり。


そんな感じでメンタル面が良くない方向に行きそうです。



他の良くない影響としては、「可能性を狭める」なんかもあります。仕事って、チームで働く場合は異なる意見や斬新な意見を出し合って良い方向に持っていくしゃないですか。


自分の意見が間違ってるかもしれない、、とか考えちゃうと発言しにくいんですよね。心のブロックかかっちゃうんですよ。

間違ってるかもしれないと思いながら発言出来るメンタルの持ち主は関係ないかもしれませんが、心が豆腐の人ほど、間違ってると思い込んでる前提での発言はしにくいと思います。


となると、アイデアや意見の母数が少なくなって、成果や結果にも良くない影響を及ぼす。


メンタルという目に見えないことにも、成果という実質的なことにも影響があると考えると、「正しくあらねばならない」という気持ちの奥底にある鎖は断ち切るべきなんじゃないでしょうか。


何も悪いことを正当化していこうっていう話じゃなくて、犯罪とかはしたらいけないんですけど、意見とか感情にまで正しくあらねばという縛りはいらないんじゃないでしょうか。


自分がそもそも正解を求めているっていうこと自体、私はあまり自覚していませんでした。自覚がないからこそよくわからない不安に駆られてたりしてたんですよね。


自分自身で気づくことって案外難しいのかもしれない。当たり前のように身についているからこそ、ね。私も質問してもらって、私の回答へのフィードバックがあったからこそ気づけたし。

自分1人だと気づきにくい発見とか、その発見によっての学びとか、思考とか、その先の行動とか。対話によって生み出せるものってあると思う。私と話してみたい人、友達追加してね。


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